生きたり生き存えたり日記、5月(上)
5月某日
夜、小田原散策中にはぐれホタルに出会う。駅から自転車で15分くらいで行ける場所だが街灯など一切なく真っ暗。蛍というものはわざわざそれをめがけて見に行くものだと思っていたので、突如、目の前に現れて驚いた。現在地周辺を検索してみると近くに水源地がある。そこから川が派生していて、いるところにはもっと沢山の蛍がいるはずだろう。
5月某日
GWあたりに小田原に戻ってきた。111日ぶりの我が家である。長野の雪山で1ヶ月過ごし、翌日から2ヶ月琉球へ。その後東京に戻るも友人宅を転々と周りながらお土産を私歩き、やっとの思い出小田原へ。毎年友人に相談をしているのだが、あまりにも小田原にいる日数が短いから今年こそはここで時間を過ごしたい。そう思い、GWからはほぼほぼ小田原の家で眠り、散策。その散策が実を結んで蛍に出会えた。蛍の一生は短い。蛍鑑賞は、今しか、ここでしか、できないような気がして、その日以来毎日天気とにらめっこしながら蛍を観に出かけている。一度西鎌倉に遠征に行き、小田原の気になるエリアも散策もした。今年は7回蛍を観た。満足した。
某月某日
日が落ち始めた街を散歩している。小学生らしき五人くらいの人々が、自転車に乗って話している。すぐ近くには公園があって、きっとそこで遊んでいたのだろう。一人の女の子は「楽しかった!」と言って、もう一人が「ね!また明日も遊ぼうね!」と言っていた。なんと気持ちの良い別れの挨拶なのだろう。きっと彼らは明日も遊んで、楽しかった!また遊びたい!と思って、家に着くんだろうな。
某月某日 -2日
友人K、Oが家に泊まりにくる。当日は雨の予報だったから、訪米の2日前から地道な準備をしていた。布団を干した。シーツを洗った。風呂を掃除した。掃除機をかけようと思ったところで、体力が尽きた。その代わりに料理を仕込んだ。天才。一緒に料理をするということだけど、何をどう作ろうか。ひとまずアレルギーとかNGな食材を聞いておけば、それ食べられませんを回避できる。
某月某日 当日
友人K、Oが家に泊まりにきた。当日はしっかり雨だったので、前日までに食材の買い出しをしていて、よかった。玄関で二人を出迎えた時に、二人が手に持っている傘が二人らしい傘だった。Oは家に何度か来たことがあるが、Kさんは初訪米。Kさんに家を案内して、2階の自室でKさんとおしゃべりをした。知らぬ間に距離を置いていると思っていた人が、家に遊びに来てくれて、赤い座布団の上に座っている。まさかこういった風景が見えるとは、Oさんのおかげである。
人にお気に入りの本を紹介するのは、嬉しくも、恥ずかしい。自分の力量が量られるようなところがある。キッチンに戻り三人で料理の準備をする。とりあえずお腹が空いているとのことで、事前に仕込んで置いた漬け込み料理が役に立ってよかった。Kさんはそれを笑っちゃうくらいばくばく食べていて、Oくんはそれを眺めて嬉しそうだった。Kさんは慣れた手つきで餃子を作り始め、Oくんは不慣れな手つきで餃子の皮を作る。私が以前働いていた餃子屋の本を発見して「これ絶版本じゃん!」とKさんが言うので、本を貸した。人に本を貸すのは久々で、人から借りパクしている本を思い出した。
某月某日 +2日
新しく皿を買う。服を買う。本を買う。調味料を買う。何でもいいのだけれど、新しく何かが自分の手元に来た時に、それをどこにしまうのか、つまりは配置を考える。お皿であれば、グラス類は左に、丸皿は右下に、茶碗は目線の高さの棚に、というように。似たようなものたちを集合させて、カテゴライズをすることで、整理を行う。
2日前、友人が二人、家に泊まりに来た。そのうちの一人は、関心分野も近く被っていて、知ってからはもう、8年も経つ。だけど、そういえば喋ったことがあまりない。その、知ってはいるけれど、ほとんど何も知らない人が、私の前で喋ったり、笑ったり、つまみ食いをしたり、小麦粉を慣れた手つきで扱うのを見て、目の前に人間が存在しているなと思った。
(人間が目の前にいる、というのはあまりに当たり前の表現だが、あまりに書くことをサボってしまい、言語化能力が鈍っている。だから、こうして文章を書くことで、自分が納得できる言葉を編めるようにしていきたい)
今まで、小田原には何人もの、もしかしたら何百人ものお客さんが来て、帰っていった。それらとは別の感覚。はじめての感覚。季節的なものか、年齢的なものか、わからないけど、この感情を、いま体感しているこの感覚を、棚のどこに置けばいいのかわからない。見たこともない、かと言ってちぐはぐでもない、名の知らぬ瓶詰め調味料がいつのまにか、ダイニングテーブルに置かれていた。はて、これをどこに置いたらいいものか。
この分類不能な感情を、未生の言語を、もう少しだけでいいから知りたい。それを分析するために、器を与えることを試みる。文字にしたり、絵(色と形の配置)にしてみたりする。その感情が膨れ上がるような音楽を探してみても見つからないので、久々にピアノを弾いてみたりした。ああ、この音と、組み合わせと、このテンポが少しばかり近いかもしれない。けれど、圧倒的にピアノは技術不足を痛感して、次には体を動かしたり、緊張させたりして、どのような速度で、体のどこに、それが分布しているのかを測ってみたりする。
今日までにもう少しだけ言葉を鍛えて、ピアノに触れて、線で遊んで、体を扱っていたなら。覆水は盆に返らない。これに向き合ったら時間が、とてつもなくかかるのではないかと、始めることさえを恐れているようなことも、始めることさえすれば、身体性と言葉の乖離が徐々に薄れていく。そして言葉を鍛えようと意思を持つだけでも、幾分かの自尊の感情を、言葉から与えられるのだと思う。言葉は、音楽でも、絵でも、刺繍でも、どんな形の言語でもよくて、情理を尽くして自分の内側や見えぬところを探っていくこと。
そして、どんなに丁寧に、情理を尽くしても言葉は不完全であり、それが言語として共有された時には、嘘になってしまう。嘘を含んでしまうと言ったほうが良いだろうか。それが故に、言語を扱うことは痛覚といつも共にあるのだが、表現することの痛みを感じることを恐れすぎないこと。傷つく前に傷つかないこと。
某月某日
借りパクしている本を友人宅に郵送する。住所検索すると近くには行って観たい温泉がある。Mさんの家の窓からは桜が見えるそうで、その写真を私の沖縄滞在の際に送ってくれた。2月から4月まで琉球にいたので、私は今年、桜を見ていない。奄美大島でぎりぎり見ることができたのは、葉桜。本土の桜と品種が違ったので、毎年の桜という情緒には響かなかった。だから、訪ねたこともないそのMさんの家から見えた桜というのが、私の今年の花見の風景である。
一つ小包を作ると、そういえばあの人にもお礼を伝えたいなと何人かを思い出す、長野土産の味噌珈琲に手紙を添えて、住所を書く。その人はなぜか以前小田原に来た時に、お客様ノートに住所を書いていてこういった風に役に立つとは思わなかった。すこし前に連絡をした際にはスイスにいるらしく、いつこの小包を開けるのわからないが、帰国した際に郵便受けに沢山の荷物が詰まっていると楽しげだなと思った。
某月某日
Bくんの家に遊びに行きたいな。
彼のご両親は二人とも作家をやっていて、彼の両親の話や、彼の話を聞くと楽しい。また、彼の前に現れる自分もいい感じで、とにかくBくんと一緒にいるとお互いがいい感じになって、いい感じなのである。彼とは高校時代はあまりしゃべらなかったけど、僕が主催したりんご会という講演会(元Apple Japanの社長さんをお呼びした)とか、運動会での頑張りをみてくれていたらしく「ファン」だと言ってくれる。が、ぼくもBくんのことを知って「ファン」になった。ファン同士なのである。