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地球の遊び

なんて楽チンなんだろう。

自分を手放すことの解放感。

受け入れることへの自由さ。

やっと魔法を手に入れたよ。

§

わたしは純粋すぎる。

だから、目に見えるもの、聞こえてくるもの
なんでも信じてしまう。

そのままで生きていたら、騙された。

そのままで生きていたら、裏切られた。

そのままで生きていたから、人を信じられなくなった。

だから、必死に自分を守る方法を探した。

わたしの概念を作ろうとした。

「わたしはこういう人間である。」という定義をたくさん身につけて、他者から攻撃されないように。

周りを見渡せば、家庭でも、学校でも、社会でも、
みんなそうやって定義の鎧をつけている。

それが普通だと思ってた。

§

「あの人は出来る人だ。」

と誰かが言ったら、

わたしは出来ない人だ。と言われているように受けとるクセ。

人と自分を比べるクセ。

人よりも劣っているという錯覚。

劣等感という謎の集合意識。

そこから派生する、優越感という生ぬるい戦い。

自信を持ちなよ。と安易に投げられる解答。

そしてまた、さまよう承認欲求。

感情ストーリーのお遊び。

それが3次元の遊び方。

§

わたしはやっぱり純粋すぎる。

そしてあなたも純粋すぎる。

だからそのままでいい。

なんの定義も概念もない、ただの純粋すぎるわたしとあなたで、

楽しいこと
やりたいこと
挑戦したいこと
伝えたいこと
聞きたいこと
見たいこと
感じたいこと

それだけにフォーカスして遊べばいい。

概念を持っていたのは過去のわたし。

今この一瞬、一瞬、ただの純粋なわたしでいる。

頭の中に浮かんでくる概念は、外そう。

執着をやめて聞き流そう。

そしたら次の瞬間消えていく。

フォーカスするのは、純粋なわたし。

現実のスクリーンで起こっている出来事の、必要な部分だけにフォーカスすることが出来る、わたし。

必要な部分だけを受けとる、わたし。

それは、概念を持った自我の自分から自由になり、
ほんとうの自分で世界を見ているということ。

これが5次元の遊び方。