成功体験と自己肯定感の関係?
初めての投稿になります。Cといいます。30代にして自己肯定感うすうすの独身女(オタク属性)です。
noteを始めたきっかけは、何か有益なことを書いてみようとか、自分というコンテンツで少しは面白いことが言えるんじゃないかとか、そういう下心的なものだったと記憶してしますが、登録するだけして放置していました。
急に初投稿するに至ったきっかけとしては、やはり今のコロナ禍における自分の気持ちや状況をメモしておこうと思ったからかもしれません。普段の生活ができないストレスにより、自己肯定感の薄さやばいな??30代になって結構たってるけど、時間薬ではなかったのか、とありありと気づいてしまった。というわけで、自分探しのnoteをやってみようかなと思います。
私は紆余曲折あって今はとりあえず、グラフィックデザイン系の仕事をしていますが、自分で自分のことをデザイナーと言っていいのか、つい最近まで全然わかりませんでした。
簡単に経歴を書くと、高校&専門学校でデザインの勉強→広告制作会社に就職→1年ほどできつくて辞め→かねてからやりたかったことに挑戦→自分では無理だと判断して見切りをつける→数年前から今の会社でインハウスデザイナー的なことをやりはじめる。といったかんじです。
この【かねてからやりたかったことに挑戦】という部分が、自分の社会人キャリアの空白部分になっていることは明らかです。(バイト掛け持ちとかはしてた)
大体6~7年くらいの間、小さい頃からやってみたかったことに挑戦してみたのですが、向いてるか向いてないかでいうと、向いていたとは思います。純粋に好きでした。でも、素質が薄かったように思います。まわりでうまくいってる友人たちに気後れして、あぁ自分はこの世界では活躍できない、と判断しました。
つまり、仕事や、やりたかったことでの社会的な成功体験がいまだにほぼ無いに等しいのです。完全に自己責任です。ですので自己肯定感が低いんだろうなと解釈しています。
さて自己肯定感が低い、というと、褒められても素直に受け取れないとか、自分なんて…と卑下する、みたいなことが代表格だと思いますが、私は全然そんなことはありません。
というよりも、「称賛を受け取れないのは、相手を否定していることになるので失礼」「相手がなんと言っていいのかわからず困らせるので、自分で卑下はしない。」というルールが自分の中にあるからです。
そう、私は全部『人の評価の中の自分』を見て生きてきてしまったので、自分がどういう立ち振る舞いだったら自然体でいられるのかとか、何をしていれば純粋に楽しいのか、ということを、最近まで置いてけぼりにしてきてしまいました。
時代はSNSです。誰しもが、「私が主役」というたすきを掛けて全世界に発信できる時代になりました。私もツイッターは10年以上やっていますが、始めたのは20歳すぎてからでしたし、自分が主役となり、好きなことを自由に発信していく時代になるまでは、そこから何年かたってからだったと思います。
つまりそこまでは、デザイナーになりたいならデザイン会社に就職し、アシスタントで経験を積んでやっとデザイナーという『社会的称号』を得なければ、デザイナーを名乗ることができなかったと思います。ですが今は「はい、私は今日からデザイナーです!」「私は今日からアイドルです!」と呟いて、プロフィール欄に書けば、誰でも『それ』になれてしまう時代といえます。
『人から称号を与えられる、または人からの評価で自分を判断する』という生き方をしてきた私にとって、これほど戸惑い、また羨ましいことはありません。素直に、いいなぁと思うのです。
だからこのnoteでは、自分が本当は何がしたいのか、どうすれば自分が一番苦しくない生き方をできるのか、そういうところを掘り下げるために、投稿を続けていけたらと思っています。デザインも、一応能力的には向いていると思うし、楽しくないこともないのですが、苦しいと思うことも多く、お金を得る手段となってしまっています。
何かにならなければ、自分という人間には価値がないんでしょうか。
ここまでこじらせてる人はそういないかもしれませんが、もしかしたら同じような感覚の方と意見交換ができるかもしれない、という期待もありまして、初投稿に至りました。一言でもコメント等いただけたら嬉しいです。
なるべく毎日書きたいな。では。
C