お気に入りの部屋を離れると決めた話と愛の話
1ヶ月後に3年住んだ部屋を出ると決めた。
大きな窓が4つもあって、入ってくる光が包み込んで慰めてくれるようで、気分が落ち込みやすかった私にとって、とてもとても心強く居心地の良いお部屋だったのに。
数年間イギリスで生きていくことが決まって、必ず離れる時が来るとわかってはいたけれど、いざ電話をかけ終わって一息つくと、寂しさがゆっくりと歩み寄ってきた。
これまでは、人や物と離れるときに寂しいなんて思ったことがほとんどなかった。というと嘘になるかもしれないけれど、数日うら寂しい日が続いてすぐに薄まっていく。だから、身軽になるために物を捨てることも、友達と距離が空くことも、怖くなかった。むしろ、「やっとしがらみから抜け出せる」なんて喜んだりすることもある。けれど、この部屋と離れることはいつもと違う。じわじわと少しずつ染み入ってくる。そして、私の中に住み着いている憂いと共に私の一部になる。「この部屋以上に気にいるところとは、もう出会えないんじゃないか」と、人々が恋人と別れるときに口にすることを私は部屋に対して思っている。
それだけ気に入っているけれど、安月給の美容師1年目から住んでいた部屋なのでいいところばかりでもなかった。隣の部屋の人は夜中になると叫び出すし、玄関に1ヶ月以上生ゴミが放置されることもある。建物の外は大きな道路が通っていて、車やバイクの音がうるさい。調子が悪くなると五感がより敏感になってしまう私は、うまく眠れなくなってしまって一晩に何度も金縛りにあい、気が狂いそうになった時もあった。何度か引っ越しを考えて、それでもここに住み続けたのはこの部屋の愛を感じたからだと思う。
少し前に、愛は人や動物との間だけに存在するものではないと気がついた。私が知らなかっただけで、多くの人からすると当たり前のことかもしれないけれど、私の中では大きな発見だった。穏やかな川の流れやよく晴れた日に見る木漏れ日、口に含む前の水の輝き、そういうものすべてに愛があって、この部屋にもそれと同じようなものが敷き詰められていたんだと思う。そして、生まれてからずっと、そういう自然の愛を受け取っては蓄えて育ってきた。親や他人からの愛の形がどれだけ歪んで濁って見えていても、いつもと変わらない柔らかさで自然の愛が守ってくれていた。体は離れても、変わらない温度でこの部屋の愛は私の中にあり続ける。そう思うと、寂しさが和らぐ。
この部屋から離れた後は、絶縁する気でいた毒母と少しの間住むことになっている。精神科のお世話になるのとイギリスへ飛ぶのとどちらが先か怪しいところだけれど、どちらにしても、この地で出会った愛を忘れずに生き延びたい。そして、言葉、絵、写真どれかの姿をした私の愛が、寂しい思いをしている誰かの心に届いて欲しいと思う。いつか、そんな日がくるといいな。
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