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月の女神と夢見る迷宮 第十一話

ラベンダー畑で捕まえて!?

チャイム

 「シソ科ってのはよく分かんないんだけどぉ、この匂いは熊よけになんのよ」
 私の呟きに対してチャイムが反応する。
 
 あー、そう言えば熊はミントとかハッカ系の匂いが嫌いだっけ? ミントも確かシソ科だよね。あ、目立たないけどちゃんと生えてる。よし、これで名前のストックが2つになったわ。次の次はミントで決定。
 
 『くま……こわい……』『くま……やだ……』
 セージとローズマリーが怯えた様子を見せた。
 「くま……おそった……わたしたちの……」
 ラパンが悲しそうに言う。
 
 ラパンの話を引き継いでチャイムが語り始めた。
 「ウチらの住処は元々あの山の麓にあったんだけどさ……」
 
 3年前までチャイムたちは、両親や他のナイトラビット達と共に群れで暮らしていた。その住処は山の麓の辺りにあったらしい。
 
 ところがある日その住処を、一頭の大きな熊が襲った。ナイトラビット達がいかに魔物とは言っても熊には勝てず、群れは散り散りになってしまったらしい。チャイムたちも這々の体で逃げ、この場所にたどり着いたとのことだった。
 
 「多分父さんと母さんは……弱肉強食は自然の摂理だから仕方ないんだけどさ……」
 チャイムはそう言った後、唇を噛みしめた。
 
 「そっか……辛かったね。悲しかったね……」
 私にはそう言ってチャイムたちを抱きしめる事しかできなかった。
 
 自然は時にとても残酷だ。でも獲物を狩って、そのお肉をいただいている私も熊となんら変わりない。他の生き物の命を奪わなければ、私だって生きていけないのだ。昨今はベジタリアンも増えているそうだけど、植物にだって生命はある。この世に生きとし生けるものは全て命のリレーをしているのだ。
 
 「熊もね……山の中の餌が少なくなったから私たちを襲ったみたいなんだよね……」
 よくある話……と言ったらいけないのだろうけど、巷ではホントによく聞く話。チャイムから語られたそれは、私にとってとても胸が痛むものだった。
 
 4年ほど前、山の中腹にあるスキー場がゲレンデの拡張工事をしたらしい。その時にたくさんの木が切り倒されたそうだ。その結果山の中の環境が変わり、かつてのように熊の餌が豊富にある山ではなくなった。山の中に餌がなくなった熊は山から降りてくるようになり、麓にあるチャイムたちの住処を襲ったのだ。
 
 「酷い話ですよね……」
 チャイムの話を聞いたヨシュアが呟くように言った。
 「人の娯楽の為に……」
 お嬢様も唇を噛みしめている。
 
 「でも、今はちゃんと生きていけてるからさ……誰かを恨んでも元には戻んないし……ね?」
 チャイムが他の子たちの背中を擦りながら言った。

 「コッコッコッコッ……」 いつの間にか鶏たちが周りに集まってきていた。

 「この鶏は村から盗んだヤツか?」
 ライトさんが相変わらずストレートな物言いでチャイムに尋ねた。も、もう少し言葉を選んで欲しいんだけど。連れて来たとかさ……
 
 「まあ、そう言われても仕方ないっちゃないんだけどねぇ。この子たちはそのままだと死ぬ運命だったんよ……」
 
 チャイムの話はこうだ。冬の間は鶏達の餌も少ない。冬をようやく越えられても、春先には毎年弱った鶏が出てきてしまう。そうした鶏たちの中には病気にかかってしまうものが少なからずいて、弱い個体から順に死んでしまうのだ。
 
 「ここら辺は冬でも餌が結構あるからねぇ。放し飼いの方がストレスも少ないしさぁ」
 チャイムは弱った鶏をここへせっせと運び、大切に世話をしたらしい。
 
 「それになんか、鶏と一緒だと心が和むのよね」
 「そう言えば王都の学校でも兎と鶏を一緒に飼育してたわね」
 お嬢様がそう言うと
 「非常食として?」
 とチャイムが意地悪そうに笑いながら言った。
 
 「コケーッ!!」
 その時最初からいたデカ鶏が突然啼いた。
 「んっ!?」「むっ……」
 ミズキさんが咄嗟に盾を手に取り、ライトさんはすっと剣を鞘から抜く。
 
 「しーな……くる……」
 ラパンがそう言った時、ソイツはのっそりと立ち上がった。

 熊だ。それもかなりデカい。でも何で? ここの匂いが苦手なんじゃなかったの?
 
 「あらら、ついにここまで来ちゃったかぁ。苦手な匂いを上回るとはねぇ……」
 チャイムが暢気そうな声で言う。
 「なんでそんな暢気なのっ!? アナタたちを狙ってるのよっ! 早く逃げてっ!!」
 
 するとチャイムは人差し指を立てて左右に動かしながら
 「ちっちっち……。そうじゃないと思うなぁ……」
 と言った。

ラパン

 「しーな……くるよ……」
 ラパンが再び私に向かって呟く。
 
 え……? あれ……?
 私は改めてその熊を見た。熊はじっと私を見つめている。私の背中を嫌な汗が伝った。
 
 「そいじゃしーちゃん、頑張ってねぇー」
 チャイムが茶化すように言った。
 
 こ、コイツもかーっ!
 
 私はクルリと熊に背中を向けた。そして文字通り脱兎のごとく、ラベンダー畑の中を駆け出す。
 
 「シーナっ! いつものように行くわよっ!!」
 お嬢様が私に向かって叫んだ。ヨシュアからも
 「回復は任せて下さいっ!」
 と声がかかる。
 
 ミズキさんとライトさんが手際よく落とし穴を掘り始める。セージとローズマリーもそれを手伝っていた。普段から兎穴を掘るみたいだし、体も兎より大きいからすぐに掘れそうだ。
 
 熊のスピードは時速約50キロ。兎と比べれば断然遅い。ラパンと鬼ごっこして負けなかった私をなめるなよ。落とし穴が完成するまで引きずり回してあげるわ。
 
 そう呟きながら、私はラベンダー畑の中を縦横無尽に駆け回り始めたのだった。

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