3.11 東北の地に思いをよせて

2011年3月11日、東日本大震災。
あれから12年が経った。

幸い私は関西に住んでいたので、被災していない。
身内や親しい友人に東北にゆかりのある人もほとんどいないので、あの震災を身近に感じることはできていない。

当時私は中学生で部活をしていた。
グラウンドを走っていた。何かを理由に怒られていて、練習させてもらえず、部員全員で走っていた。
すると、血相を変えて顧問の先生がやってきて、
「部活はおわり!今日は帰りなさい!」
と言った。
走ることさえ許されないのか…と焦り
「続けさせてください!」
と言ったのを覚えている。
ハッとした先生は続けて説明する。
「違うねん。東北で地震があった。だから、今日はどの部活も終わり。念のため、早く帰すことに決まったから。」と。
帰ってから、テレビのニュースを見て、驚愕した。
想像していたのよりも何倍も、何十倍も深刻だったからだ。

あの時、つい先ほどまで憤怒していた先生が、それを忘れるほど気が動転するような出来事だったのだ。
現に私も、12年も経っているのにその時のことをよく覚えている。


就職したとき、同期に東北出身の人がいた。
高校生まで宮城県仙台市にいたという。
高校生までということはあの震災を体験したはずだ。
でも、私はそのことについて、何も聞けなかった。
聞くのが怖かった。
もしかしたら、その地震で親戚や友だちや大事な人を亡くしているかもしれない。あの大きな津波を目の当たりにしてトラウマになっているかもいれない。
そうではなくとも、嫌な記憶を呼び起こさせることに違いない。
そう思うと何も聞くことはできなかった。 


私は関西に生まれ育った。
かといって、阪神淡路大震災も経験していない。
父と母は「あれはびっくりした!飛び起きた。」と言っていた。
棚の上に置いていた目覚まし時計が吹っ飛んできたそうだ。
まぁ、その程度の被害で済んで、私が生まれてこられたので幸運だった。
神戸にいたら目覚まし時計が吹っ飛ぶどころではないのだから。

大地震と言えば、大阪で起こった大阪府北部地震が経験した中で一番大きかった。それでも震度4~5だったはずだ。
震度7なんて想像もつかない。震度4でさえ、恐怖で布団の中でうずくまることしかできなかった。そのとき初めて、東日本大震災がいかに凄まじい地震だったのかを痛感した。


私のように年代や地域によって、被災していない人も多いと思う。
でも、被災していないからといって、無関心なのは悲しいし冷たいとも思う。大人になった今、全てを理解できなくとも知らなければならないと感じている。
被災した方から、一時の言葉はいらないと思われるかもしれない。ただの自己満かもしれない。それでも、忘れ去られてしまわないように、時折思いをはせる人が一人くらいはいてもいいだろう。

だから明日は黙とうを捧げたいと思う。


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