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おウワサはかねがね その33「求めるは救済」

「おウワサはかねがね」は、お互いの「ウワサ」だけは知っている波多野伶奈(俳優)と野花紅葉(劇作家)がnoteを通じてやりとりする企画です。会ったことのない2人の関係はどう変化するのか、2人が本当に会う日はやってくるのか。毎月0のつく日は野花紅葉、5のつく日は波多野伶奈が更新します。

前回のおウワサはかねがね【その33(9月20日)】

もみさんへ

今日が9月25日であることに戦慄しております。ちゃむです。まだ9月になったばかりだと思っていました。もっと言うとまだ気持ちは6月とか7月なんですよね。2020年に気持ちが全く追いつきません。

体調回復されましたか、、?私も月ごとに死んでいる日があるので、そういう日に限って大事なことがぶつかってくる理不尽とかないですか?不安な日は休んでくださいませ、、ほんとうに、、。

前回はリクエストにお応えいただきありがとうございました!前回を受けて私は今生まれる作品をどう捉えているだろうかと考えているのですが、かなり曖昧で、そのためちょっと逸れますが私の好きな作品の1ジャンルと絡めて演劇についてお話してみたいと思います。

私、実際に存在した現実を下敷きとしたノンフィクション的フィクション演劇を好んで観ていて、ご覧になっているかわからないですが、例を出すとハイバイの『夫婦』とかゆうめいの『姿』あたりがこれに当たります。これらの作品って、ノンフィクションの体をしたフィクションであり、こういった作品を見るとものすごいフラッシュバックが起きて、あくまで現実ではない仕立てられたノンフィクション的フィクションと私自身のノンフィクションがぐちゃぐちゃになって、結果的に私の過去が治癒された気持ちになるんですね。なので、私がこれらの作品につよく惹かれるのは私自らのトラウマの治癒が体現されているからであって、作品自体への感動ではないのではないか、と若干疑いを思っております。
そして、

前回もみさんのこちらのツイートのことで、件の作品が何だったかは私はわからないのですが、私が好んでいるフィクションとノンフィクションの境が曖昧になって私を助けてくれる瞬間に行われてることと、もみさんのツイートでの「生きる世界のすり替え」って同じなのではないかと、思いまして。私の場合、私から積極性をもってフィクションとノンフィクションをすり替えて同じ世界にいようとしてるので、作品の図々しさではないのですが、起きていることは同じなのかもなぁ、と今考えています。


もみさんは演劇の作品を観る際、何を求めていますか、、?私は圧倒的に救済です(物語のハッピーエンド的な救済ではなく、波多野伶奈を救ってくれる方)。自分で自分の面倒がみれてないわけなので恥ですが、救済です。


コロナのはなしから大幅にずれて、よくわからない話にしてしまった気がする。もしかしたら私は自分が救済されるなら、感動するなら、作品のみではなく過程とか社会の状況とか、利用していてもなんでもよいのかもしれません。作品への感動の涙なのか自分への慰めの涙なのか、あまりここの区別がついていないっぽいのです、、。

演劇のはなしはここらへんで。ピアノ素敵ですね、、。私は一曲だけ弾ける曲がありますが音楽に関してあとの知識は皆無です。歌も音痴で声量も出ないのでカラオケがうまくいきません。俳優を少しばかりでもやっていてカラオケで声量がでないってなんなのでしょうか。リクエスト、なんだろう!!!ピアノで弾ける曲がなんなのかすらわからなかったので検索してみました。が、よくわからず!結局好きなクラシックを、、、「月の光」っていけますか、、、?それかクラシックではないですが手嶌葵 「La Vie En Rose」とか、、もしできたらぜひ、、、。
ちょっと今回のおウワサはしっかり書けているか結構不安ですが、考えたことありましたらぜひ教えてください。

せっかくなので「La Vie En Rose」を貼ります。YouTubeになかったのでSpotifyの力を借りました。

ではでは、また次回、楽しみに待っております。

ちゃむ

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