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時間を早く感じる大人が人生を楽しむコツは、まずは「大きな岩」を入れることだ

「保育園で工作をしているの。敬老の日におじいちゃんとおばあちゃんにプレゼントするんだ」

年中さんの次女が嬉しそうに言った。
え、敬老の日?まじか、、嘘やろ、、、

そうか。
気づいたら今年も3分の2が終わろうとしている。ついこの前、2021年が始まったのに、もう「残暑」と呼ばれる時期にきた。

時の流れのあまりの早さに愕然としてしまう。「光陰矢の如し」、「歳月人を待たず」とはまさにこのことである。
僕が早々にじいさんになるのは仕方ない。それは覚悟しているが、何が寂しいってこの時間のスピードでいくと手のかかる子ども達がすぐに親離れしていってしまう。

小さな3人を連れて歩けば、すれ違うお年寄りがニッコリして「いいねぇ」とやわらかい声をかけてくれる。

「外を歩けば手をつないでくれる可愛い時期はあっという間よ」

よく言われるが、本当にそのとおりだ。
時間の流れの体感速度は年を取るごとに加速してきているように思う。

長女が小学校に入学してから、よく自分が小学生だった頃と重ねてみる。

4月にクラス替えがあって、新しい友達ができて、二ヶ月ごとに席替えがあって、

好きな子と席が隣になれば嬉しくて、いいところ見せようと頑張った。

長い夏休みがあって、秋は学芸会に、冬はマラソン大会。

毎月何かのイベントがあって、時間がとてもゆっくり流れているように感じた。

高校3年の時に親父に
「この一年で人生が変わるから、この一年だけ本気で勉強頑張れ」

今でも鮮明に覚えている。
その苦労した一年は永遠に終わらないのではないかというくらいとても長かった。

小学校1年生の頃、10年先の大学受験と聞いても全く想像も出来なかった。
しかし大人になってからの10年なんてあっという間である。僕なんてちょっと前まで20代だったんだ。

このスピードは一体何なのだろうか?

体感時間に切り込んだ学者がいる。
フランスの哲学者ポール・ジャネーさんで、「ジャネーの法則」を提唱した。

1年が早く感じることを心理学的に説明したもので、
簡単に説明すると、50歳の人は1年という年月の単位を50回経験していることになり、5歳ならまだ5回しか経験していないことになる。その感覚の割合を考えると、50歳にとっての1年は人生の1/50で5歳は1/5。つまり時間の長さは普遍的だが主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるのだという。
(参照: ジャネーの法則 )

このジャネーの法則を信じるならば、我々が主観的に感じる時間の流れはこれから更に加速することになる。

上記のWikipediaで書かれてあったことを別の表現にしてみると

・5歳の子供の10年が、50歳の人には1年に感じる。

・人生80年とすれば僕の41歳は残り半分である。 しかしジャネーの法則の体感時間の考えでは20歳が人生の折り返し地点になる。


有名な話「この壺は満杯か」~時間について考える~

有名な話なのでご存じの方も多いと思う。

僕は度々このnoteで、「時間は有限」「僕がFIREを目指す理由」「自由とは・・・」と粛々と持論を述べてきた。

実は、僕の考えの根底には「この壺は満杯か」の話がある。

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題名:この壺は満杯か

ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」
教授はそう言って、大きな壷を取り出し教壇に置いた。

その壺に彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで、岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壷は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。

「本当に?」そう言いながら教授は、
教壇の下からバケツいっぱいの砂利を取り出した。そして砂利を壷の中に流し込み、壷を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壷は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「たぶん違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、
教壇の下から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、
三度目の質問を投げかけた。
「この壷は満杯になったか?」
学生は声を揃えて「いや」と答えた。

教授は水差しを取り出し、壷の縁までなみなみと水を注いだ。
彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しいときでも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込むことは可能だということです」

「それは違う」
と教授は言った。

「重要なポイントはそこではないんだよ。この例が私たちに示してくれる真実は、大きな岩を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度とないということなんだ」

「君たちの人生にとって「大きな岩」とは何だろう?」

と教授は話しはじめる。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり……。
ここでいう「大きな岩」とは、君たちにとって一番大事なものだ。

それを最初にこの中に入れなさい。

さもないと、君たちはそれを永遠に失うことになる。もし君たちが砂利や砂、つまり、自分にとって重要性の低いものから壺を満たしていけば、君たちの人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

そして大きな岩、つまり自分にとって、一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体を失うだろう。
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「努力は必ずむくわれる」という言葉が浸透しているように、日本人は努力することがとても尊いことで、大切だと思っている人が多いと思う。
しかし、何の努力に時間を費やして自分の人生を豊かにするかについてはあまり語られない。
時間は有限(壺の大きさは有限)なので、全てのことに努力はできない。だから人生において、自分にとっての『大きな岩』は何なのかはじっくりと考えた方がいい。

50歳までにサラリーマン卒業と公言している僕は、よく周囲からこう言われる。

「そうは言っても、その時になったら子ども三人いるのにそんな簡単に今の環境を手放さないでしょ。高給取りになってるかもしれないし」

いや、辞める。
僕は仕事が嫌いだから「辞める」と言っているのではない。仕事なんてものは、僕にとって砂利や砂や水にすぎないのだ。

それらを先に壺に入れてしまうと、どうしたって家族や自分の時間を削らなくてはいけない。そんな人生は、絶対にイヤだ。
優先することを決めて、そのプラン通りに動く。それこそが幸せに生きるコツだと思うのだ。

逆に言うと優先順位がハッキリしないと、優先順位の低いもので壺が埋めつくされてしまって、人生が不幸になっていく。

だから僕はゴールを決めた。粛々と若いころから投資をしてきて早16年。あと長くても7~8年で目標に達するだろう。
配当金をもらいながらあとは毎日を楽しく暮らした方が僕の人生は豊かになる。

で、このnoteのこと

僕にとって何かを言葉に表現することは、岩である。

だからnoteには価値を見出し、今まで毎日投稿してこれが91記事目だ。
100記事で一旦、自分の生活とnoteのあり方については見つめなおそうと思っている。

90日

「100記事後にやめるnote」
ではなくて見直し。91記事(3ヶ月以上毎日2000~4000字)にある程度真剣に向き合ってきて、今振り返ると結構な自分語りの財産になってきた。連続投稿はスゴイことだと思うけど、日中仕事しながら記事を作成してしっかりと推敲するとなれば、さすががに追いつかない。

最近では平日は、惰性的に文字を打ち込んでいる自分に疑問を持つようになってきた。もう少しエッセイに近い形で自分にとって満足できる形のものにしたい気持ちが強いのと、あとはやはり頭の中からnoteの更新が離れない気持ち悪さでいずれにしてもこの生活を続けることは厳しい。

結論を出すのが遅かったかもしれないが、30記事、50記事程度ではそれは分からないと思って続けてきた。で、どこかの区切りが必要でそれは100記事なんだろうな、って。

「おっさんの自分語りウザっ」
って思われるかもしれないが、100記事以降は連続投稿にこだわらずに、もう少し文章としてまともなものにしていくので、
「僕のことは嫌いでもnoteのことは嫌いにならないでください!」

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育児、マラソン、投資の仲間をnoteを通じて皆様と交流できたら幸いです。どうぞよろしくお願いします。 by ゆづお

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