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いつか もし子どもが 生まれたら〜♪ 世界で‘’一番目‘’に好きだと話そう

春は‘’巣立ち‘’の季節。 

24年前の春だった。

ボクは高校3年生までを片田舎で過ごし、
大学になる時に大阪にやってきた。わざわざど田舎から大阪の大学を受験した理由は言うまでもなく「一人暮らしがしたいから」であり、

加えて
「関西弁の女子にモテまくって、海の浜辺で水をかけあってキャハハハしたいから」
である。

ボクは今でも‘’巣立ち‘’前夜のことを
鮮明に覚えている。

不安と希望を胸に抱いて、という表現があるがまさに文字通りのそれだった。
「ダウンタウン病」そのものだったボクは、学生の本業である学業は二の次、三の次。

笑いの本場の大阪だ。

ボクが「松本信者」仕込みの本領を発揮し、ボソっと真顔で辛口を言おう。
すると
「なんでやねん!」
近くにいる関西人がすかさず突っ込みをいれて、ドッと笑いで場がつつまれる。

そんなキャンパスライフを都合よく思い描き、田舎人が都会で過ごす一抹いちまつの不安はありながらも、その夜は興奮が抑えきれずに一睡もできなかった。 

まさしくそれは
目の前に続く‘’未来への道‘’を進むのに、精一杯だった青春と呼ぶべきひとときだった。

 −−−−−−
翌朝の出発日。

春の暖かい日差しが心地よく、爽やかな春風とともに、桜の花びらが舞っていた。

実家から少し離れた新幹線の駅まで両親に車で送ってもらい、

「送ってくれてありがとう」

と、駐車場で別れを告げた。

すると‘’今日はホームまで見送る‘’と言うではないか。

え?もう何歳だと思ってんだ。

そんなのいいよ、と強く抵抗したものの
結局、新幹線が到着し乗車するまでの間、しっかりと付き添われた。

座席についてからも窓越しに執拗に手を振って‘’さよなら‘’をされる。ボクは周囲の乗客の目が気になり、ものすごく恥ずかしくなって最後に軽く手を振ると、ついには両親の顔から目をそらし、数日前に買ってもらったばかりの真新まあたらしい携帯電話にさっと目を向けた。

門出のとき。
もう後ろなんか振り向いてる場合じゃない。
ワクワクしすぎて、はち切れんばかりに鼓動が高鳴った。

背中を見送る親の気持ちを想うより、未来が待ち遠しかったあの頃。

しかし今、ボクは年月を経て
「巣立つ側」から「巣立ちを見守る側」の立場となり、ワクワクしたはずの”春“は全く違う光景となった。 

「子どもなんてそんなに好きじゃない」

結婚前のボクはそう思っていた。
いや結婚後だって、たいして変わりやしない。自分が好きに使っていた時間を奪う我が子を本当に可愛いと思えるのか不安で仕方がなかった。

でもその不安は‘’君‘’が誕生してから、ものの見事に裏切られた。

長女ゆーちゃん。

生まれたばかりの天使の身体は
‘’ふにゃふにゃ‘’だった。
力加減をミスったらつぶれちゃうかもしれない重責の中、犬を抱えるようにボクは不器用に抱っこした。

その瞬間だった。

ボクの中にある、ありとあらゆる‘’愛情‘’というものがナニかに取りつかれたように全力で 君に向けられるようになった。

妻と出会うためにボクは生まれてきたのだろう、なんて思って数年前は結婚した気がするが

すまん、妻よ。
やっぱり訂正する。

すまん、名曲‘’ライオンハート‘’よ。
世界で一番目は子どもだ。

ボクは我が子と出会い、そして守るために、そのために生まれてきたんだ。
まだ首も座ってもいない天使に顔を近づけながら、新生児独特の香りを全身で感じて、心の底からそう思った。

やがてその愛情は
1人から2人、2人から3人へと矛先ほこさきは増えたが、1人に向ける愛情のスケールは変わることがあろうものか。
ボクの中に宿やどる愛情の流量リミットが長い封印から解除されて、その流れの勢いは防波堤ぼうはていをも破壊し、どこからともなくあふれ出るようになっただけなのだ。

子どもが視力を失うことがあれば、
迷うことなくボクの目と交換しよう。
心臓の鼓動こどうが弱まるのならば、
一片いっぺんの迷いもなくボクの心臓を差し出そう。

針千本はりせんぼん飲まされることと引き換えに
これを約束できるのは
世界でたったの三人だけだ。

思い通りの育児ができずにイライラした日々

お、寝たかな?
そう思ってかかえていた小さな身体を寝床ねどこ
そっ〜とおく。
するとまるで世界の終わりかと言いたげに、ギャンギャンと泣きわめく。

ようやく寝始めたところで
‘’ふりだしに戻る‘’だ。
再び抱きかかえて、暗闇の部屋をグルグルと歩き周る。足を止めると泣き出すので、何周も何周も永遠とわにグルグル、グルグルと。
充分な睡眠もできずに仕事に行った日なんて数えあげればキリがない。

朝の保育園送りにも悩まされた。
出発直前に不定期に訪れる

‘’地蔵のように微動だにしない儀式‘’

‘’泣きわめきのイヤイヤ反抗‘’

これに付き合ってしまうと‘’地獄じごく‘’へと導かれる。なんとも未熟なお地蔵さんだ。
ギリギリに職場に到着する時もあれば、時間を過ぎてしまう時もあった。

暴風雨のときのタクシーは予約でいっぱいだった。当時、車を所有していなかった我が家はこんな時はまるでSASUKEである。下の子を抱っこして、長女と一緒に雨合羽あまがっぱを着て、大雨にうたれながらギュッと手をつないで保育園まで歩いた。

子どもは雨のシャワーに大喜び。
だけどボクは仕事用にセットした髪の毛は濡れ濡れのボロボロ。スーツも 雨合羽あまがっぱの熱気で湿ってジメジメのしわしわ。もはや仕事に行ける格好ではないまま、それでも行かざるをえなかったことだってあった。

保育園へ送り届ける道は、誰からも賞賛しょうさんされない、そして賞賛しょうさんされるはずがなきいばらの道であった。

−−−−−−
初めての子の、初めての保育園なんて、
想像できないほど病気をもらってくるし、
想像できないほど職場に迷惑かける

子どもが体調を崩して仕事を休む時、
高熱の連絡を受けて迎えに行かなければならない時、

ボクは上司や部下、みんなに何度も
「すみません」「申し訳ない」と謝る。

夫婦で協力しあいながらも、お互いの職場、立場でそれぞれ事情がある。どっちが対応するかで喧嘩けんかしたことだってある。

周りの人に迷惑をかける回数が増えたし、
周りの人のやさしさに嬉し泣きしたくなった時もあった。それは妻も同じであろう。

覇気、熱量、活力、気力といった全身からみなぎるもの全てを子どもに吸い取られ、
なにしてもうまくコントロールできない日々は、自己嫌悪じこけんおや不安といった感情に支配され、心が幾度いくどとなくくじけそうになった。

そんな日常の中に、そこはかとなく輝く子どもたちの笑顔。それを見るたびに可愛さや幸せであふれ返った記憶がよみがえり、、、、

そう。
これで心が救われるから育児はやっていけるのだ。

子どもがいるから感じる‘’つらさ‘’がうんとある。

でもそれ以上に子どもがいるから感じられる‘’幸せ‘’が星の数だけある。

それがボクが今、体現している育児である。 

保育園から巣立ちのとき

コロナ禍でおこなわれた
長女ゆーちゃんの卒園式。

屋外での開催は至極当然しごくとうぜんながら、
会場の設営自体もソーシャルディスタンスが徹底された。

あらかじめ決められていた席の1家族分は、
横並びではなく、
感染症対策で3つの椅子が間隔をあけて縦列じゅうれつする配置となった。

先頭に座るのは園児。
そこから少し離れて真ん中はママ。
かなり離れて一番後ろにカメラ担当のボク。

式のメインディッシュは何と言っても
卒園証書をひとりひとりが授与されるときであろう。それは園児にとって初めての‘’節目‘’を象徴する大切な儀礼となる。

我が子の通った保育園では、
園児が大きな声で名を名乗り、
演台に証書を受け取りに行った後、
両親の元に行ってそれぞれに感謝の気持ちを伝える。

そんな素敵な演出が用意されていた。

名を名乗るときの大きな声、
証書を受け取りにいくときの規律正しい姿、
口にする感謝の言葉、

その勇姿は、幼かった我が子の成長を肌で感じる‘’感慨深い瞬間‘’なのだ。

−−−−−−
4月生まれのゆーちゃんは、早々に順番がやってきた。

決められたとおり大きな声で名を名乗り、大きな証書を受け取ると、ゆっくりとした足取りで僕たちのところにやってきた。

ママの前に立ったゆーちゃんは笑顔だった。
いつものガールズトークのようななごやかな雰囲気でナニかゴニョゴニョと言った。

ボクには聞こえなかったが、
ゆーちゃんの口の動きが止まった瞬間、ママが二度、三度、小さくうなずいて、そして右手でギュッと握りしめていたハンカチで目元をぬぐった。

ふふふっ、
ママは涙もろいからな。

うつむいてしまったママを背にして、続いて後ろに座るボクの方にを進めた。

さて、どれどれ、と。

ボクは辛気臭しんきくさいのが大嫌いである。
しかも相手は6歳児。
新しい門出を楽しく見届けてあげたい。
心底、そう思った。

どんな感謝の言葉を言われても、
敢えていつものパパ、いつもの姿勢を貫くんだ。ボクは特別なことをやってない。
当たり前のことを当たり前にやってきただけだ。

「ありがとう」と言われて、
「ういっす」が良いか、「まいど!」が良いのか、いや、むしろ重低音のヴォイスで「しょうちしました」と言えば笑いがとれるのか?いや、ゆーちゃんの大好きな、ハイテンションの「ホホホ〜〜イ」のノリだろうか?

軽く受け流すための様々なパターンを網羅的に検討していた。

ゆーちゃんはボクの前でピタリと足を止めると、表情はほおを赤らめて口もとをヒクヒクさせてうつむいた。
あぁ、恥ずかしいときにするいつものあの顔だ。

なんだ、
入園したときから、恥ずかしがり屋はまったく変わってないじゃないか。

と、思った次の瞬間だった。

パッと表情を変えてボクの目をしっかりと見た。そして大きく息を吸い込んでから、普段耳にしたことがないほどの大きな声をだした。

「パパ、まいにち、ほいくえんまでおくってくれてありがとう、たのしかったね」

そして、無邪気にニコッと笑った。

……………あぁ、、、ね

ボクは一瞬、、、頭が真っ白になった、、、

正直なところ頭の処理が追いつかなかった。
余りの不意打ちに、コトバを忘れてしまった。

「おくってくれてありがとう」か。

そういえば、いつの日か、自身が巣立つときに口にした言葉じゃないか。
そうか、こんなにやさしい言葉だったのか。

「たのしかったね」か。

その言葉を合図にボクの脳裏に
保育園まで歩いた日々が走馬灯のように次々とフラッシュバックされた。

桜の木の下で写真を撮ったり、
足が痛いからとおんぶして歩いたり、
ゲラゲラ笑っておしゃべりしたり、
ママに内緒のお約束をしたり、
車に危ないからキツく怒ってしまったり、

この子とのそんな朝のデートも終わったんだ。

そうか、そうだな……。
楽しかったな。

なくなるのか……。
それは寂しいじゃないか。

あれ?朝の‘’地獄‘’なんて全然たいしたことなかったんじゃね?仕事に遅れて行ったところでいくらでも取り戻せたけど、

この子との
‘’たのしかった時間‘’
は、もう決して取り戻せやしないんだ。

あかん、泣いてまうわ。

でもここで泣かれへん。
そんなオトコの大人事情もしらないゆーちゃんは、ボクからの言葉を待って笑顔のまま立ち尽くしている。

涙であったり、感情であったり、想い出だったり、もうよくわからないほどにゴチャ混ぜになったナニかがこみあげてくるものをボクは必死にこらえながら、

少しばかり震えた声で返した。

「そうだね、またな、、、ママに内緒のお話しような」

そしてナニかあふれるものを誤魔化すように、ゆーちゃんの頭をナデナデした。

ろくにおめでとうも言えず、今思えば親としてとても情けなくて自己嫌悪におちいるが、
でもこれがボクが発することのできた精一杯の言葉だった。
おそらくこれ以上に何かを発したら、子どもの前でボクはきっと泣き崩れていたと思う。

−−−−−−
あの出発の日と同じように

長女ゆーちゃんの初めての巣立ちの日は
春の暖かい日差しが心地よく、爽やかな春風とともに、桜の花びらが舞っていた。

だけど1つだけ違った。
ボクはワクワクなんて感情じゃない。

覗いていた一眼レフカメラは焦点がずっと合わなかった。

巣立ちを見守ったボクの瞳は
表現しがたいナニかの感情に支配されて、

ずっと、ずっと

そう、
ずっとうるんでいたんだ。

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