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おっさんは、いつからおっさんなのか。その哀愁ただよう境界線は、パンツにある。

いよいよ肌寒くなってきた。

子どもたちに
「そろそろジャンパーを出しておこうね。去年のヤツ、まだ着れるかなぁ??」
と言ったところ小学生の長女が

「??ジャンパーってナニ??」
と、真顔まがおで聞いてきた。
この年齢にしてまだジャンパーを知らないのか。

キミはボキャ貧か!?
仕方がない。
実物を取り出して‘’コレだよ‘’と教えてやろう、そう思った…

すると
「ジャンパーって!久々に聞いた。おっさんやん笑笑笑」
横でおばはんがゲラゲラと爆発的に笑った。

そう、実は知っている。

たしかに‘’ジャンパー‘’という言葉を発するに際し、危険性を感じてはいた。長く生きていると、気づけば次第に聞かなくなる言葉というものがある。

そんな言葉を発する1秒前は、
かならず脳が一瞬の迷いをもつ。

ボクにとってのそれは
“ジャンパー“であり、“リンス”である。
‘’シミーズ‘’もそうだし‘’チョッキ‘’もそうだ。‘’トレーナー‘’もそうか。

学生の頃に、おっさんたちが
“カップル”を“アベック”
と言ったのを聞くと、友達同士で顔を見合わせて大爆笑をしていたのと同じで、

今の若い世代を前にして、
“ジャンパー”なんて言うと、
踏めば爆発するかもしれないだろうな、
と、そう思っていた。

が、瞬時に‘’ブルゾン‘’が出てこず、
おそるおそる踏んでみたら、身近にいるおばはんが爆発したということだ。

“ジャンパー“や“リンス“は、
世間的には死んだ言葉かもしれない。

しかし、田舎人が生まれ育ったの方言をずっと忘れないように、ボクのココロの中では未だに元気にしている。

それを現世で声に出してしまうと
‘’おっさん‘’を形容することになるし、方言ほうげんであれば‘’田舎生まれ‘’を自己紹介することになる。


ボクはこのnoteで、
多用する一人称は‘’ボク‘’である。

しかし他にも

‘’おっさん‘’、‘’非モテ‘’、‘’このオトコ‘’

と場面によって、もっともふさわしく自分をシンボライズしてくれる一人称を使いわけるようにしている。

ただ、
‘’おっさん‘’、‘’おじさん‘’
なんてそうは言いながらも、リアルなところで言うと自身では年齢感覚なんてのは、なかなかアップデートされにくい。

気づけばアラフォーというだけであって、なんとなく自意識は二十代後半で止まってしまったところがある。

アラフォーおじさんがそう言っちゃうと、
20代の子からするとキモがられるかもしれない。現にボクだってそうだったから。

入社したての20代前半の頃、30歳のマッチョ男と付き合ってるという同期女子のデレデレこいバナを聞けば、

いいねぇ、
うなずきながらも

‘’うわぁ、キッつ。こいつおっさん専か?‘’
‘’相手も、おっさんのくせにまだ若い気分なのか‘’

なんて、ココロの中で毒づいていた。
あの当時、目に映った30代、40代は、はるかに上の大人であったから。

しかし自分が30歳になったとき。
思っていたほどにおっさんな感覚ではなかった。普通に元気だったし、人間の3大欲求も30歳を境界線に衰えるわけでもなく、ただただ20代から30代へと数字をまたいだにすぎなかった。

そして、まさかアラフォーになってみて、未だに自意識の一部に20代後半くらいで止まっているという感覚が残っていようとは、

さすがにまったく思いもしなかった。

「あ、やっぱりオレおっさんだな」と、現実を知るとき

ボクは、人間の生物学的なピークは20代後半にあると思っていたし、今でもそう思っている。シビアな身体能力を求められるプロスポーツの世界でも、水泳などの一部の競技を除くと、多くは27、8歳くらいがキャリアハイであるように思う。

そして30代からが克服の対象になってきて、
衰えはジワジワとやってくる。 

天才、努力家と評されたあのイチローだって、30歳の記録がキャリアハイだった。

というか、いやいや。
まてよ。

こうやってすぐに野球を例にだそうとする。これもおっさんかもしれない。

‘’打席に立たなきゃ、ホームランは打てないよ‘’
‘’今日は、我が社のエースで4番の田中を連れてきました‘’
‘’ストレートと思って、カーブを振っちゃあダメだろ!‘’

50代の部長が
‘’野球用語‘’をからめて説法をかますが、よくよく考えてみると、

これらの説法は野球を知っている前提であって、若い子からすると

‘’4番ってなに?知らんがな‘’
の可能性が大いにある。
毎晩、ゴールデンタイムにプロ野球ナイター中継のあった30〜40年前と、今とでは、まったく前提が違うのだ。


ボク自身が実態として最初に人生の「下り坂」に気づいたのは、飲み会だった。

それまで金曜の夜に飲んだら二次会はカラオケのオール。だれかの家で飲んだら徹夜、眠くなったヤツから脱落して雑魚寝ざこね

朝の七時頃に外に出ると、朝日の強さで目がつぶれそうだったが、その光を浴びながら「疲れ」と「達成感」の境界線が溶けてゆくのを感じていた。
さすがにピンピンしているわけではないが、その疲れや充実感は、‘’青春‘’の生き心地そのものだったのだ。

それが何だかんだで徹夜をしなくなった。

徹夜はつらい。
あれだけ楽しかった徹夜に、30歳過ぎてから、まったくモチベーションがわかなくなってしまった。

女子同士で‘’明日、何色のパンツにしようかな?‘’の会話が聞こえた日には、少しばかり緊張する。それがおっさん

ボクが大学生の頃までは、
世間ではズボンを‘’パンツ‘’と呼ぶことはほとんどなかった。今の子には信じられないかもしれないが、これはホントウである。

でも
ズボンはパンツ⤴。
下着はパンツ⤵。
イントネーションでみ分けるのが今のつね。パンツは下着としか認識していない時代を送ってきたボクにとっては、ときどき、
瞬時に
‘’あれ?どっちだった?‘’
と判別がつかなくなる。

これの一番困るのが服を買うとき。
店員にズボンと言うのが恥ずかしいからそこは‘’パンツ‘’と言うが、

それが、妙に緊張する。
ファッションセンスというのは男性の魅力の中でも非常に重要な要素の1つではあるが、

パンツ⤴を万が一にでも
パンツ⤵と言って間違えた瞬間、

ボクはダンディな大人としての敗北を認めざるをえない。おっさんが、ズボンと言わずに背伸びして間違ったことがバレバレで、

真っ赤な顔をしながら店を出てしまうだろう。

ネイティブ関西弁のイントネーションを間違えて、田舎生まれのボクがエセ関西人とバレちゃう瞬間のような、そんな感覚である。

こんな記事を書いてる最中、先ほど…

さぁ、‘’ゆるゆる雑記‘’を
どうしめくくったろか、と考えながら
トイレに行って、今しがた帰還した。

ふと気づくと、
トイレのドアを開けたまま放尿していた。
冷静にその姿を捉えたとき

‘’こいつ完全におっさんみたいなことしてんな‘’

と。
何の言い訳もきかない姿だった。

こうしてつづってきてしみじみ思ったが、「おっさん」という存在は非常に文化的な様式だと言える。

いかにもおっさんめいた言動が人々のイメージとしてすでに共有されており、自覚的にせよ無自覚にせよ、そのイメージをなぞったときに

人はおっさんとなるのである。

…どうだ格言。

よしゃ。
大谷ばりの、ど真ん中ストレートで

ビシっ!
と決まったな。

これにて、ゲームセットね。

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