子供の頃に悲しい記憶を増やす親は毒

俺の母親は毒親だと思う。それは被害妄想かもしれないけど、俺なりになぜそう思うのかを定義してみた。
その定義がこのタイトルだ。

1.「正しく育てること」にこだわりすぎた母親

俺の母親は19歳で俺を産み、21歳で俺の弟を産んだ。
そして、29歳で離婚をし、シングルで俺と弟を育てた。

母親は厳しい家庭で育ったらしい。どこまで厳しいかというのはあまり大した話を聞いていないが、
冬に水で雑巾がけをしたとか、門限が高校まであったとか、友達と泊まりで遊びに行けなかったとか、そんな内容だった。
それでも母親は勉強せず、夜中に帰るなどしていたと言っていたから、そこそこの厳しさだったのでは。と踏んでいる。

母親の俺の育て方を考えると、モラハラが酷かったんじゃないかな。
おじいちゃんとおばあちゃんは俺にはすごく優しかったけど。

そんなモラルズタズタな母親は、俺らを正しく育てようとした。
それはこの子達が大人になって困らないように。という母親らしい想いではなく、

色々世間から指を刺される要素のある人生だけど、正しく育てました

という成果物が欲しかったからだと思う。

これは俺と弟の言い分だが、自分自身の為に子供を存在させてることを感じさせてしまう親だったように思う。

2.叱るとは違うしつけ方

なぜそう思うのかというと、理由は山ほどある。

たとえば、叱る・躾けるということを履き違えていた。こういうところで思いやりがあるかないかが、はっきり分かる尺度になるだろう。

俺の母親の叱る・躾けるはこんな感じだった。

片付けられない→子供の背中に乗り床を舐めさせる。またはトイレをなめさせようと俺の頭を便器に持っていく。(気が弱いので便器は脅す程度)

風呂に10数えるまでつかれない→風呂から出た後に履くパンツを隠す。または届かないところにあげる。

夕飯の準備の箸を早く用意する→「急かすな」と怒る

夕飯の準備の箸をタイミングを伺いながら用意する→「手伝わねえ」と怒る

なにかで怒らせる→8時間以上怒り続け、ぴったり機嫌の治る言葉を見つけないと開放されず「早くしろよ、眠いんだよ、こっちは!」と当たられる。

まだまだあるが、こんなの躾ではない。
母親はいつも不機嫌だったし、小学生の頃、夜中に起きてしまい母親の部屋に行くと、「9時からはあたしの時間!邪魔すんな!」とおこられた。

そんなに邪魔ならなぜ俺らを親父に押し付けてくれなかったのか。
そんなに生活が苦しいなら、なぜ市営施設に俺らを預けてくれなかったのか。
と疑問だったが、それも「失敗した」と誰からも思われたくない意地でしかない。

俺らは、叱られたこともしつけられたことも無かったが、怒られたり、いじめられたことは沢山あった。

3.おまけと失敗作を作った母親

死ねとか、あそこから飛び降りろ。などはよく言われた。できるわけがないからだ。
できるわけがなくても、自分よりも弱く、自分のことが好きな相手に言ってはいけない。
まあ、それは俺らがしなければいいだけだ。気は弱いので突き落とされることは無い。

それに加え、生まれたこと自体の否定も何度もした。
俺は「あんたみたいな失敗作を作った覚えはない!」といわれ、
弟は「あんたはKNTのおまけ!言うことを聞け!」といわれた。

ここまで聞いても、母親には悲しい気持ちや、惨めな気持ちにさせられた記憶の方が強い。

その代わり、リレーの選手になったとか、応援団長になったとか、そういうのはニコニコとしていた。
まあ、機嫌が悪くなれば「あんなの走るだけ」とか、「どうせコネだろ」とか嫌なことを漏れなくいわれたけど。

おかげで弟は詐欺師となった。
俺は特に何もしてない。職業を転々とするくらいかな。実家には近づいてないだけ。

4.母親がしてくれたこと

俺らを殺さなかったこと。それに尽きる。
それを母親は一生懸命育てました。と言った。

弟と最後にあったのは10年前だが、その時も母親の話は愚痴ばかりになった。

それくらい、してくれたことはない。
そのかわり、俺が15歳の時に母親がうちに連れてきた母親の彼氏は、俺らを大事にしてくれた。

たくさん晩飯作ってくれたり、旅行も沢山連れていってくれた。誕生日に「言う事聞かないからプレゼントをあげない」と言うことはなく、沢山手料理を作って祝ってくれた。
怒ったことは無かったが、俺が夢を叶えようとしてたときは、母親はバカにしたが、彼氏は本当に覚悟はあるのか、ちゃんと考えを整理出来てんのか。と聞いてくれた。

悲しい記憶は毒。

家族という皿に毒を盛ったのは血の繋がった母親だが、こっちも食べてみなよとご馳走を盛ってくれたのは血の繋がらない母親の彼氏だった。

あなたは、自分の子供の皿にどちらを盛ってあげてますか。

毒は消えることはない。今でも正直悲しい。

でも、俺は毒のない家庭を知っているからどちらをつくるかの選択はできる。
血の繋がらないお父さんが作ってくれたご馳走を、お嫁さんに俺も作ってあげたい。

そんなオチ笑

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