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【節約生活#138】情報の節約-考と感を尽くす-

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

情報の浪費

 以前から思ってはいたものの、ここ最近意識してニュースなどに触れないようにしている。それでも目にしてしまうことがあるので、その場合はできるだけ一次や一次に近い情報を探すことにしている。
 なぜそんなめんどうなことをしているのか。
 たまに、情報を消費するという言葉を聞くことがある。ただよくよく考えてみればほとんどの情報は浪費されているのではないかと考えるようになった。情報が頭にたくさん入ってくるが、何も残らない。その時だけなんらかの感情が浮かんで消えるだけである。子どものころ学校で、なぜか新聞を読むことが推奨されたけれども、新聞やテレビ、ネットの記事など一時的な時間つぶしにしかなっていない。
 そういう意味で情報を浪費していると言って良いように思う。

情報はしゃぶり尽くせるだけしゃぶり尽くす

 何にも残らないものを頭に入れる作業のために長時間使うのはもったいない。そういうふうに最近強く思うようになってきた。
 例えば、ずいぶん昔は「大本営発表」などと言って、事実かどうかわからない、むしろプロパガンダな情報はいけないようなことを言っていたと思う。ところが、今はむしろプロパガンダ情報がほとんどである。もちろん、戦争などは現地からの正しい情報が入ることは不可能である。だからと言って、立場の偏った情報を唯々諾々と受け入れて、怒ったり、意味のない発言をしたりするのはおかしい。
 わからないものはわからない。わかるものだけに立脚して自分の考えをまとめ、行動を変容するしかない。
 だから、情報はしゃぶり尽くすべきなのだと考えるようになった。
 つまり、情報が入ってきた場合、考え尽くし、感じ尽くす。最近はワークショップのように、①できるだけ事実を確かめる、②情報を比較する、③自分ごととして考える、というようなことを意識している。
 やってみた結果、たくさんの情報に触れなくなる(時間的に不可能になる)だけでなく、情報に関する感受性が上がった気がする。

人生のリソースの節約

 情報を考え尽くし、感じ尽くそうと意識しはじめたのは、時間が無駄になっているし、あまりに他人事に情報を受けすぎていると考えたからである。同時にもうひとつ思ったことがある。それは、事件や事故にあったひとからすると、遠くの他人にそれこそ他人事でてきとうなことを言われるのは不快だろうということである。
 それで、少しの情報だけを考え、感じるようにしはじめた。結果、時間だけでなく労力も節約できている。労力が減るというのは、触れようとする情報が減ってきたからである。意味のない情報を選別していくと、意外にもほとんど出どころも不明で考えることのできない情報である。そうすると、調べたり考えたりすることがないので、トータルで時間も労力も使わなくてすむようになった。
 一日に使える認知リソースは限られているので、情報を真面目に真正面に受け取るだけで、逆説的にリソースの余裕を産んだことはありがたい。継続していけば、人生のリソースの節約になるようになり、より自分にとって大事なことにフォーカスできるようになるのではと予測している。

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