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【節約生活#729】「最低限」を合言葉にして体調を優先する

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 肉体的、精神的、社会的な健康を目指しながら節約をするというルールで挑戦中。
(2024,6.15更新 それまでは「健康で文化的な生活をしながら節約をする」というルール)

体調の悪さ

 気づけばこの2、3日体調が悪かった。
 食欲があったから気づけなかったのかもしれない。
 うっすらと倦怠感があり、昨日は荷物が異様に重く感じた。涼しくなってきたというのに、体温が上がるのを感じて、発汗もあった。もしかしたら自律神経の狂いがあったのかもしれない。
 そのうちに便秘から下痢へと変わる。

 昨日の夕方に体調の悪さに気づいた。トイレにこもっていたらじょじょに落ち着いた。

 久しぶりの体調の悪さで、以前のことを思い出した。
 生まれて育ってきた中で上記のような体調の悪さは常態であった。
 仕事をしだしてからは、加えて毎日睡眠不足で、夜にはお酒を飲んでごまかしていた。そうすると午前中は二日酔いに耐えることで、体調に注意がむかなかった。

 体を壊した経験のあとは、健康を優先することにしている。最近では、体調が悪かったころのことを忘れてしまっていた。喉元過ぎれば・・・という感じである。
 だからなのか、周囲に似たような体調の悪さのある人に不快感を覚えることがある。もしかしたら、袋小路にいる自分に気づかなかった自分を重ね合わせているのかもしれない。
 しかし、以前はそういう人を役立たずのようにみなしていたのも事実である。

 そもそも社会が健康を基準にしている。健康であることを前提にして組まれた予定や、業務がどれだけ多いことか。
 不健康な生活をそそのかしているのに・・・とアンフェアな印象を受けてしまう。 
 結局のところ、体が資本というということばがあるように、丈夫な人の方が得をするようにできている。健康格差というものは、やはりある。

健康格差

 健康は自然に得られるものではない。
 不健康な生活を長年続けて自分を痛めつけてきた反省がある。

 健康には格差がある。
 最近読んでいた一次予防の論文がある。一次予防というのは言ってみれば、広く一般に予防をすることである。病気のリスクがある人に健康指導などをするのは二次予防になる。その論文の調査では、一次予防をすればするほど健康格差は広がるという結果だった。
 確かにそうだ。健康に関心のある人にしか、健康の情報は刺さらない。
 健康に留意する人はより健康に心をくだき、健康に留意しないひとは不健康な生活のままでいる。
 かつての自分は後者であったので、暴飲暴食睡眠不足に過労と不健康な生活を続けて体を壊してしまった。当然パフォーマンスも低い。テレビゲームの毒ステータス状態で毎日を過ごしていたようなものである。

 もちろん、健康に良い環境や状況と健康に悪い環境や状況がある。

 若いころは不健康が自慢であったように不健康な生活スタイルを文化とする節もある。だから、実はお金があってもなくても、不健康な人は多い。
 お金がないので健康を害すような仕事をする人もいるだろう。だからお金のある人と、お金のない人の健康に関する状況は異なる。

 ただ、今の時代は実は健康を優先することができる。
 自分も長く無意味仕事を続けていた。
 業績の悪い組織で、改善しているための努力をしているかに見せかけることを強いられてきた。それが長時間残業、しかも残業代が出ない理由であった。
 節約生活に挑戦をしていたこともある。だんだん意味のない仕事に耐えられなくなってきて、仕事をやめてみた。
 仕事自体が不健康な生活を強いるのであれば、やめてしまえばよい。節約をしていれば、それほど生活費もかからない。
 無理にお金を使わなければ健康を第一にすることができる。

 そんなことを体調が悪くて思い出した。
 健康第一と言いながら、最近仕事を依頼されることが増えてきたせいで、過労ぎみであったのかもしれない。今週は「最低限」を合言葉にして暮らしてみたい。

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