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【節約生活#255】小さな贅沢に気づくけるか

 趣味で節約生活をはじめてみた。
 健康で文化的な生活をしながら節約をするというルールで挑戦中。

幸せの青い鳥

 幸せの青い鳥という童話をちゃんと読んだことがあったかどうか。内容はあまり覚えていない。ただ、幸せは身近にあったというオチだけはなんとなくわかる。
 この童話は折に触れて目にしたり耳にしたりするので、おそらくは使い勝手が良いのだろう。考えてみれば、幸せは気づきにくく、実は身近にあるのだということを、ひたすら子どものころから聞かされているわけである。ということは、多くの場合、1)人は幸せを感じていない、2)幸せを探して外に目を向けたり、アクションをとったりするが見つからない、3)実は今のままでも幸せである、ということが状態化しているのだと考える。
 もちろん口では身近にある小さな幸せは大事だとは言うだろう。ただ、幸せ探しを外に向ける人はきっと、今ここではない、違った何かを探している。新規性のある幸せだってあると言われればあるかもしれない。具体的には思いつかないけれども。

節約をしはじめて、小さな贅沢に気づく

 節約生活に挑戦をしてから、早起きをしてnoteを書くようになった。習慣化するためにnoteに向かうまでの動きをルーティーン化するなどの工夫をした。現在では、布団から出るまでにストレッチをし、布団から出たらシャワーを浴び、体重を測る。その後に湯を沸かしている間にコーヒー豆を挽いて、コーヒーを淹れる。そしてコーヒーを飲みながらnoteを開く。こんな漢字である。
 この朝の一杯のコーヒーが美味しい。
 そして贅沢感を感じている。

 贅沢感はどこからくるのか。
 コーヒー豆は別にそれほど高いものを買っているわけではない。味はそれなりに美味しいけれども、きっと喫茶店をやっている人からするとまだまだなのだとは思う。それでも朝はこれがないと始まらないという感がある。
 時間と手間をかけて一杯分のコーヒーを淹れる。薄暗い部屋に朝焼けがじょじょに強くなっていく。窓からは涼しい風。

 節約をし始めて、贅沢は必ずしもお金が必要なのではないことを実感した。能動的にシチュエーションを用意し、そして用意された状況が心地よさを返してくれる。心地よさは毎日変化する。今日は晴れているが、雨の日もあるし、風の強い日もある。まったくの無音のときもあるが、鳥の声のするときもある。
 創造する喜びという感覚があるが、それに近いものがある。

 散財している時期は、こういう小さな贅沢に気づけなかった。たくさん飲んで、たくさん珍しいものを集めて、と「たくさん」ばかりを追い求めていた。それが一日の活力にどれくらいつながったかは、今ではわからない。もしかしたら今朝の一杯のコーヒーに負けるかもしれない。

 節約をするためには自分の行動を強制的に見つめ直さなくてはいけない。その副作用として、贅沢感、幸福感を自分がどこで感じるのかを知ることができた。しかも、今日言語化するまでできた。
 無宗教なので誰に感謝をして良いのかわからないが、感謝をして、一日をはじめられる。節約生活ができている今に感謝。


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