パブリックになると言うこと

全国的なニュースにもなったのですが

広島県呉市の市議がマスク不着用で飛行機から降ろされ、飛行機の運行が遅延したというもの。

全く本人に反省の色もなく恥ずかしいにも程があります。

もちろん、本人の主義主張、信念は誰にでもあります。

一個人がテレビを見て好き勝手に批判したり、好き嫌いを口にするのは自由です。

ただし、その方の家の中だけで口にするのはどんな罵詈雑言も自由。

一旦、外に向けて発するとなれば言葉を選ばなくてはならない。

ニュアンスのみ伝わるように言い方をソフトにするとか、批判の対象を特定出来ないようにするとか。

つまり、パブリックと言う概念が自分にあるか?ないか?の差がここで出ます。

例えば?youtuberが投稿した動画が炎上してニュースになることがあります。

実は彼らは炎上するような行動を日常でしてきて、それを動画にしていただけだったりするのです。

過去にもそんな動画は投稿していたかもしれないのです。

youtubeがパブリックの場だと認識して無かったのでしょうし、実際に視聴者も少なく動画が世に出ず埋没していただけ。

だから、本人もそれがニュースになるまでは、世の中の規範を逸脱している案件を投稿し続けていた事に気づいて無かったのです。

パブリックであることに気づいた時はすでに遅しと言う感じ。

youtubeに限らずSNSは発信力が付けば付くほどパブリックになります。

数人の友達同士でやり取りしているうちは問題ないのですが、フォロワーが増えてきたらパブリックになったことを意識すべきです。

前出の市議などは公人なので、行動言動のすべてがパブリックです。

パブリックとは個人の主義主張、信念よりも公の倫理が優先されます。

そこで個人の主義主張をし、公の倫理を乱す時点で公人であるべからずです。

私も普段は一個人です。

SNSの大半は趣味のバイクなどの発信ばかりです。

しかし、ツイッターが9000フォロワーあり、インスタも投稿すると見知らぬ人からも50人ぐらいのいいねが頂ける。youtubeも1400人ぐらいのチャンネル登録があり、わずかですが広告収益が入ります。

もはや、個人の趣味だけどパブリックであると思ってSNSを使ってます。

どこまでがパブリックで通るか?毎回せめぎあいながら動画も作ってます。

それだけにテレビに出たりする人や、公人の意識の低い方を見ると???と思うのです。

いただいたサポートはこれからの活動費として有効に使わせていただきます。