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絵本 ぼく

この絵本を知ったのは本屋さんの店頭でした。
立ち読みがてら手に取ってみて、あれ?これ絵本で出していいやつ?というのが率直な最初の感想でした。
というのも、私が絵本教室で死という闇を匂わす絵本を描いて持って行った時に、絵本はまだまだ子供達主体のものだから、それに簡単に触れちゃいけない、と講師の方に言われたことがあったからです。
そうして、今回、闇は光の母シリーズを知り、この絵本もシリーズ3作目であることを知りました。
それで納得、なるほど。
そうして、作者が谷川俊太郎さんだからこそゴーサインが出たんだろうな、とも。
それでも、終わりの1ページを編集部の筒井さんのメッセージが添えられています。
それほど、重いテーマを取り上げつつも、絵本自体はそれほど重くは感じられません。むしろ、なんかわかる感覚です。
死って思ったよりもそんな遠くにはない、むしろ表裏一体、いつだってそこにある。ふっと足を踏み間違える感じです。それで死ぬ場合もあるし、死なない場合もある。
だからか、終わりに添えられたメッセージはまた異なる方へのものと捉えられます。
この絵本の主人公のようなケースには、あまり届かないんじゃないかな、と。
別に絶望するような状況でもなんでもない。ただ、ふと、自分という存在が無意味に感じるというか、いなくてもいいんじゃないかな、って。ふっと消えたくなる。
私にもその感覚は最近でさえなくなったものの、ありました。
なんだろうな、ちゃんと魂がこの星に根付いてない感じ、ふわふわ浮いたままの状態っていうのかなぁ、。
これ、書けば書くほど変なやつになりそうですね。
それでも書くとすれば、同じような人に向けて、ですかね。
私は自分のルーツを辿ることによって、あぁここにちゃんといるんだいていいんだ生きてるんだ生きるんだ、ってなりました。
生かされてる、っていう表現も好きじゃないです。
「ただ生きてる。」
そう思えたら、大丈夫かと思います。私はそうでした。
生きてる、というただ一言でも、この地球とただ繋がっているから生きてるなのか、ふわふわ実体があるようなないような曖昧なものとして生きてるのでは、全く違うから。
この絵本は、自殺をテーマにしたものかもしれませんが、根底に、母である地球とのつながりを感じられずに選んでしまった道、と私は捉えました。
ヘドロのような四方八方塞がりの精神で選んだ道とはまた異なるな、と。
前に、このような性質をなんていうかを知ったんですが、、、案の定忘れてしまいました〜、、、また思い出したら補足します。
なにせよ。
この絵本を手に取って、同じような感覚わかるなぁ、まだその線が揺らいでるなぁと感じたら。
旅に出て、色々感じて欲しいです。
外に出て、戻ってきた時が一番客観性が持てたり、その時に、ふと気づくこともあったりするので。
その線を越える前に、ちょっと遠くへしばらく出掛けてみよう。
それを心がけてほしいな、と思います。
ただ旅先でもどうにもならないときは、、まぁ運次第、それは考えてもどうしようもないです。
ただ時を待つ。それも大事ですね。
なんか考えすぎてわからなくなってきましたが。
多分、谷川さん自体がこの感覚を知ってらっしゃる、経験者だからこそ出てきた言葉だなとも思います。
そこから死なないでいるのは、人それぞれ。
それぞれがそれぞれに生きる意味を見いだせますように。
私にとっては、そう願ってしまう絵本です。





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