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「報われない努力」を信じるか、「時間差で報われる努力」を信じるか


「あんなに頑張ったのに、だめだった。」
望む結果を得られずに肩を落とすことがある。
 
努力しても無駄になるし、報われないこともある。むしろ報われない方が多いんじゃないか。そんな経験をしてきてきた人は少なくないと思う。確かに、ある目標や一地点において結果が出ないということはある。しかしだからと言って「無駄」と片付けてしまうのは結論が早過ぎないかとも思うのだ。
 
報われる努力と、報われない努力。もしこの2つに分類してしまっているなら、今日から捉え直してほしい。すぐに報われる努力と、時間差で報われる努力がある、と。



望む仕事にたどり着けない


私は学生時代にマスコミ志望で、大学2年生の時から就職活動をしていた。周りは合コンやらバイトやらキャンパスライフを満喫していた時期に、自己理解や仕事理解に励み、OBOG訪問を行い、目指す業界への切符を手にするために奔走していた。

その努力も虚しくマスコミは全部落ちて、縁があったOA機器販売会社へ就職した。私がやりたかった「伝える」仕事とは程遠い、オフィス用の事務機を販売する仕事だ。この時点で私の努力は報われず、無駄だったと判断することもできるかもしれない。しかし私は東京本社の花形部署である「宣伝部」への異動を夢見て、地元大阪のショールームで来る日も来る日もお客様のお相手をしていた。宣伝部として仕事をするなら、商品を知り尽くしておかねばならぬ。そんな使命感からなんでも意欲的に取り組み、頼まれてもいない商品PRのポスターを自作してショールームに掲示するという「努力」を楽しんでいた。

3年目でやっと異動願いが受け入れられ、いざマスコミの世界へ!と思ったら、「販売推進部」への異動を言い渡された。毎年、移動希望届には「宣伝部」と書いてきたのに、人事は何を見ているのだろうか? そんな虚しさも感じながら、しかし大阪から東京に行けるだけでも夢には近づくに違いないと得意の前向き解釈で、喜び勇んで上京した。
 
 

いつか報われると信じて努力する


販売推進部と同じフロアに「宣伝部」があり、「ここが私の居場所」と思いながら出社するのが日課だった。ショールーム時代より仕事が過酷になり、自作ポスターを作る余裕もなく日々が過ぎていった。これではいけない。表現力を磨かなければ。思い立って、ライタースクールに通うことを決めた。

ライティングを武器に仕事をしたいと願う女性がたくさん通っていて、教室は熱気に包まれていた。激務の中、週に一回スクールに通って課題に取り組み、キャッチコピーやらエッセイやらとにかく書くことを自分に課していた。質より量。量を重ねていくうちに質も高まる(はず)。これでいつでも宣伝部に行ける!

実際は宣伝部の仕事は大手の広告会社とのやりとりが中心となり、自分がコピーライターとなって発信をするクリエイティブな世界とは性質が異なるということが後々わかるのだが、私はなんとかその世界に行きたいともがき、あらゆる努力をしていた。

その努力は報われたかというと、報われる前に退職をしてしまったので、あえなく「報われない努力」となってしまった。辞める頃には宣伝部の実情を知って、私の夢はそこにはないと見切りをつけていたので、当然の結果だと言える。
 

夢に近づいたと思えば遠ざかる


退職後に派遣社員として出版社に勤めるチャンスが訪れた。世間的に名の通っている出版社に、派遣とはいえ名札を下げて通えることになったのは前職を思い切って退職したからだ。ここで頑張れば派遣から社員へという道もあるかもしれない。そのことだけを希望に、与えられた仕事に一所懸命取り組んでいた。

私が勤めていたのは文庫出版部。編集者さんのサポートをする仕事だ。編集者さんの電話の向こうには作家さんがいて、会話を盗み聞きしたい想いに駆られることも多かった。こんな仕事がしたい。言葉を扱う仕事への憧れ、作家への憧れ、それらはここで強固なものとなった。出版記念パーティに同席させていただくこともあり、「そうそう、この世界!」と目を輝かせたこともあった。確実に夢が近づいている!

3ヶ月経った頃、転機が訪れた。パートナーの転勤辞令である。夢の東京から鹿児島へ。え?鹿児島ってどこ?九州の下のほう?

夢に近づいたと思えば遠ざかる。これは何の罰ゲームなのか。努力は報われないのだろうか。夢を追って上京したのに、地元大阪よりも遠く離れた鹿児島に行くなんてあり得ない。あり得ないとは思ったが、派遣社員の身分で東京に居座れることもなく、泣く泣く派遣契約を終了し、パートナーの転勤についていくことを決めた。さようなら東京。
 

振り出しに戻って考えたこと


努力が報われるどころかキャリアも途絶えてゼロスタートとなった。「振り出しに戻る」だ。いや、全く縁のない土地で生活を始めるのだからむしろマイナスかもしれない。

ここまでを見ると、やっぱり努力は報われないんじゃないか、とツッコミが入りそうな出来事ばかりだ。確かに、やりたい仕事に手が届きそうになるたびに裏切られ、努力も報われないし何も成し遂げられていないように見える。しかしそれは、ある一地点やある一側面においての評価でしかない。

例えば大阪にいた時に一生懸命取り組んでいた様子を評価されたからこそ、新人の育成担当を任されたのかもしれないし、東京で腐らず頑張って働いていた日々があったからパートナーとの出会いがあったのかもしれない。そう考えると、ある目標に向かって努力したことが、その目標を達するという結果においては報われなかったとしても、別の形で報われているのではないかと思えてくる。

「流した汗は裏切らない。」そんなキャッチコピーがあったようななかったような。一生懸命に取り組んだこと、その時間や労力は確かに自分の血肉となっている。きっとポイントは、そう感じられるかどうかの心の持ちようなのだと思う。
 

伏線回収の人生へ


鹿児島でのゼロスタートからの巻き返し。東京生活を捨ててきたのだから、タダでは終われない。そんな野心を持って過ごしていた結果、3年勤めた会社を退職し、独立開業することになった。それ以降10年フリーランスとして自分で仕事を作ってきたが、過去の報われなかった努力のおかげで今があるとはっきり言える。

OA機器会社でパソコンスキルを鍛えられたことで、簡単なものであれば自分でチラシやWEBサイトが作れたりする。コロナ禍でのオンライン化にもすぐ対応できた。ライタースクールで磨いたライティング力のおかげで、臆せず文章を書けるようになった。夢だった出版も実現できた。今は出版したい人の執筆サポートまで手がけている。

フリーランスになりこれまでやってきたことがすべて仕事に、人生に生かされている。まさに伏線回収の人生が始まっているのだ。時間差で報われる努力、万歳。

最後に、東京OL時代に熱心に通ったライタースクールの後日談を紹介する。
会社を退職した後も通い続けて、東京への思いを胸に秘めたまま卒業文集をしたため、卒業式(卒業生でイベント企画運営を行う手作りの式)までしっかりと役目を果たし、鹿児島に転居をした。

卒業文集「10年後の私へ」。当時28歳の私は何を綴っていたのだろうか。
久しぶりに、一緒に学んだ仲間がそれぞれに描く「10年後」のページをめくる。自分の名前を見つけて手を止めると、そこには、在宅でライターとして仕事をしながら家族とともに過ごす私の姿が綴られていた。今はライターとは名乗っていないがライティングも仕事の1つであり作家としての活動もある。在宅という点についてもオンラインでの仕事も多く、自分で時間管理をしながら働けるスタイルを実現している。「10年後」の未来を、今、生きているのだ。

 
すぐに結果が出る努力もあれば、そうでないものもある。その過程では、悔しい思いもたくさんするし、誰かを恨んだりもするだろう。
そんな時に思い出してほしい。時間差で報われる努力もあることを。
このことを信じられるかどうかで、人生の幸福度が変わるから。
 

▼感想を追記しています(2023.9.10)


「自分を信じる」を受け取ってくださったご感想です。ありがとうございます。


私が大切にしている言葉をコメントで書いてくださいました。ありがとうございます。


自戒を込めて!みたいなコメントいただきました。ありがとうございます。


この言葉に後押しされた気持ちです。ありがとうございます。


けっこう悩んでつけたタイトルだったので嬉しいです。


いろんなコメント準備してますので、スキ❤️してみてくださいね。


今世できないことは来世へ。素敵な先送り。


「報われない努力」への違和感についてのご意見も。


未来の自分と場所を作る!素敵な言葉をいただきました。



たくさんのご感想をいただき、ありがとうございます。
noteを通じて対話ができる喜び!書いてよかった。


あなたのサポートのおかげで作家活動に力が入ります🔥。ありがとうございます。