日記#9 希望、その先へ
ここ2日間、家の給湯器が壊れていてシャワーを浴びれなかったのだが、ついさっき直った。
ここぞとばかりに全力でバシャバシャ浴びてきた。夜風が気持ちいい。
そして、ふとナイツの漫才の一節を思い出した。
塙が自分の娘のことを”エスペランサ”と呼び、土屋が「それはチリの落盤事故中に生まれた子の名前だろ!”希望”という意味の!」とツッコむ。(うろ覚えだが)
シャワーも夜風も関係なくて申し訳ない。
そして思い出したというのも正確でない。
おそらく5-6 年前に聞いた時からずっと「”希望”という意味の!」という土屋の完璧なツッコミはずっと頭のど真ん中に居座っていた。(真中葉と呼ばれる部位だ)
と言うことで今日は皆さんに”希望”の話をしたい。皆さんは”希望”という言葉にどんなイメージを持っているだろうか?まずはその漢字に注目してその真理を読み解いていこう。
希望の希(稀)は目の細かい布のことだ。びっしり編み込まれ隙間のほとんどない布をイメージしてほしい。(転じて”まれ”と言う意味になる)
そして望(朢)は人(臣)が伸び上がって(壬)遠くの(月)ないもの(亡)を探す様子を表している。
僕はこれを聞いて妙に納得してしまった。
みんなはどうだろう?
僕には君たちが希望という言葉を幾分勘違いしているように思える。
人生を歩けば「前を向いていこう」「そのうちいいことあるさ」などという言葉によく出会う。このように楽観的に人生を考えること(もしくは特になにも考えず心配しないこと)を人は”希望”と勘違いする。もう一度漢字を見てもらえればわかると思うが、希望とはこのような軽薄で安気なものでは断じてない。普通に前を向いて立っているだけでは希望なんぞ見えてこないのだ。
「希」大きな布が自分の視界を遮り真っ暗になってしまっても、必死に目を凝らし、糸の隙間からもれる光を探そうとするその姿勢。
「望」自分の見ている景色や目線に満足せず、人目も憚らずなんとか背を伸ばしてその先を見ようとするその心。
そこに希望はある。
だからみんなも、背伸びして目を凝らしてほしい 。
その必死になって見つけた一点の灯りこそがあなたの希望だからー。
・・・
という漢字ネタを今思いついた。どうかな?
大体こういう漢字で上手いこと言うやつは、なんとでも説得力を付けられてしまうものなので、あんまり信用してはいけない。しかし上手いこと言うのは気持ちいいので、つい屁理屈を捏ね上げてしまうんだよね。
僕の真中葉には、いつか黒板に「希望」とデカデカと書いて中学生相手にカマしてやりたい、という欲求が確かにある。
2020年7月14日 夜風がいい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?