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脱北者きょんちゃんの出身校は?(平壌演劇映画大学シリーズ①)#61

こんにちは。

最近、noteのクリエイターネームを変更しました。

それなりに付き合いがある友人からは、「きょんちゃん」と呼ばれることが多いのですが、これは私の特技が小泉今日子さん(キョンキョン)のモノマネだから✨

…ではありません😅

日本国籍を取得する以前の名前が「キョンヒ」だったので、自然とそう呼ばれるようになりました。

このタイミングで名前を変更した理由を説明するとすれば、
”自分自身のことをもう少しオープンに語っていこう”と考えた私の決意表明みたいなものかもしれません。

noteをはじめるとき、いつかは通る道と覚悟していたのです。
しかし、いざ具体的なことを書こうとすると、”私に関係があった人に迷惑をかけるのではないか”、”特定されて私生活に影響が出たらどうしよう”などと考えてしまい、踏み込めずにいました。

今回、思い直したきっかけは、脱北後に中国の瀋陽日本領事館に保護され、1年ほど身動きが取れない期間に書いた日記を改めて読み直したことでした。

当時のことを思い出すのが嫌で頑なに封印していたのに、なぜかもう一度向き合ってみようと思ったのです。私の中でそういったタイミングが来たのかもしれません。

覚悟を決めてページを開いてみたら、やっぱり号泣してしまいました。翌朝は目がパンパンに腫れるほど😓

でも、それだけじゃなかった。
辛く、苦しい想いとともに胸の奥にしまっていたものがたくさん蘇ってきました。

気がつけば私が北朝鮮を離れてからもう16年。
さすがにそろそろ自分の過去をしっかりと残す必要があるのではないかと感じています。

何のため?と聞かれたら北朝鮮に残っている人々のためです。私が生かされた理由は北朝鮮の現状を1人でも多くの人に伝えるためだと思います。

私は私自身のことについて、一歩踏み込んで書いていくことに決めました。

前置きが長くなりましたが、これまで書けなかった内容その1として、まずは母校である出身大学について綴っていこうと思います。

私が籍を置いていた大学は「平壌演劇映画大学」です。

平壌演劇映画大学の正門

SPNソウル平壌ニュースからお借りしました。

学生数500人にも満たない小さな大学だったためか、同じ大学出身の脱北者は、表に出ている人の中には(韓国でも)ほぼ見当たりません。

軽く調べてみたところ、ありがたいことに”日本の中の北朝鮮”である北朝鮮総連のホームページで、2024年4月記事で丁寧に紹介されているではありませんか💦
(朝鮮語オンリーなので読める人が少ない&引用による総連Hpの信頼度アップを避けるためリンクは貼らないことにしました)

平壌のトンデウォン地区に大学が密集している区画があり、そのあたりは「大学村」と呼ばれています。

その中でも、平壌演劇映画大学(以下、映画大学)、平壌体育大学、平壌音楽舞踊大学、平壌美術大学はピッタリと隣接しています。

特に映画大学と平壌体育大学は、急いで作ったせいか、敷地の問題かわかりませんが、各々いくつかの棟を持つ中、一つの建物については仲良く(?)分け合って使っています。

ここからは、私の母校である映画大学について詳しく紹介していきます。

映画大学は、演劇・映画・TVを含む出版報道分野の専門家を育てる大学で、1953年に創立されました。
最初は国立劇場付属芸術学校として創立され、後に平壌演劇映画大学⇒平壌映画大学⇒平壌演劇映画大学と何度も名称を変更しています。

大学には演劇芸術学部、映画芸術学部、TV放送学部、俳優学部、映画情報学部、教育学部、遠隔教育学部(新設)などがあります。

たくさん学部がありますが、花形といえるのはやはり俳優学部とTV放送学部です。

俳優学部は名称の通り俳優を輩出するための学部です。
全国から選抜された美男美女、もしくは個性溢れる俳優の卵を育てています。明らかに女性の割合が高かったです。見た目からして違うので、俳優学部の学生はすぐにわかります。

以前、北朝鮮の女性応援団が世界的に人気を集めたそうですが、2005年の仁川アジア陸上選手権には映画大学の同級生が数多く参加しており、その中には仲良しだった平壌の高位幹部の娘も含まれていました。
帰国後しばらくして彼女は、「韓国はすごかった」とこっそり教えてくれました。

正直に打ち明けると、当時は彼女がとても羨ましかったです。ドラマでしか見たことのない韓国に行ったなんて…
私の出身成分(※血筋や朝鮮労働党への貢献などで定められる階級)では彼女と肩を並べて韓国に行くなど想像もできないことでした。

現在の私は、韓国に行こうと思えば週末にでも行けるようになりました。今となっては彼女が不憫に思えてしまう😅

俳優学部の先輩には、山奥から金正日のお母さんである金正淑(キム・ジョンシュク)の役をするためだけに選ばれてきた女性がいました。
北朝鮮には、抗日武装闘争時代の金日成と金正淑が登場する映画が多いのですが、2人の顔立ちや体型はあらゆる形(テレビや書籍など)で露出しているため、世間に広くイメージが定着しています。

以上の理由から、イメージを崩さない俳優を育てる必要性が生まれるというわけです。そのような俳優は「1号俳優」と呼ばれ、それなりの待遇で迎えられると聞いていました。

その先輩も当然1号俳優の卵だったので、別途、品格などについて学んでおり、同級生も下手に声をかけられない様子でした。
彼女は通学時も放課後もストレートボブの髪型にチマチョゴリ、化粧も金正淑に似せたスタイルオンリーでした。年頃の女の子としては耐え難い苦痛…

金正淑のイラスト。映画の中ではボブスタイルでよく登場します。

そして、TV放送学部はアナウンサーの卵を育てる場所です。
こちらも全国で選ばれた美しい人で溢れていて、やはり女性の割合が多いイメージでした。北朝鮮のニュースでいつも目にするリチュンヒという名物アナウンサーも平壌演劇映画大学出身なのです。

彼女は日本でも有名ですし、憎たらしいので説明は省きます^^;

今も思い出すのですが、どこに行っても「映画大学(略語)」に通っていると話すと、珍しいものを見るような顔をされるのでした。

北朝鮮の中で一つしかない演劇や映画に対する専門性を持つ大学であり、テレビでよく見る俳優やアナウンサーなど、多くの有名人の出身校だったからでしょう。
当時は金正日が政権を持っていた時代。彼は映画や演劇にとても力を入れていたため、羨望の眼差しで見られることも多かったように思います。

平壌演劇映画大学出身、北朝鮮の国民的スターたち!(え?一人もわからない?)

どの国でも芸能人は子どもが憧れる職業のひとつですが、北朝鮮も例外ではありません。
この大学の倍率は100倍にも上る(韓国の平和問題研究所のデータ参照)そうです。このことは私も今回はじめて知りました😸

たくさんの若者が憧れる大学の入学試験を運良く突破した私は、期待に胸を躍らせたものです。

日本で例えると、”東京藝術大学に合格した”というのがオーバーながらも近しい表現になるかもしれません。

一つの理想を叶える形でのキャンパスライフを実現した私ですが…

・卒業直近の4年生で中退を決断することになったのはなぜか
・所属した学部や実際の学生生活はどんなものだったのか

等々について、次回以降は詳しく書いていくつもりです。

ではまた。

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