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脱北後、失われたもの…#48

こんにちは。

来日してからどれくらいの月日が流れたか…
気がついてみたら、なんと16年になりました。

その間、誰にも負けないでがんばってきた自負はあります。
他国で中学校からやり直して、高等認定試験、看護専門学校、オペナースとして働き、結婚し、子供が生まれ、今は育児をしながら仕事もやっている。

振り返ってみると16年の歳月があれば、ここまでたどり着けるのだと自分を褒めてあげたくなります😅

…そんな自分を褒めてあげたくはなるのですが、得るものがあれば失うものがあるのがこの世の常。

脱北してから突っ走ってきたがゆえに、私が抱えることになったちょっとした悩みについて、今回は書いていきます。

私の悩み、それはズバリ”母国語が出づらくなった”ことです。

以前、日本で暮らすようになって、最もよく聞かれる質問について記事を書いたことがあります。

それに並んでという程ではありませんが、比較的よく聞かれる質問として挙げられるのが「夢では何語で話すの?」です。

振り返ってみると、私は来日して5年経ったあたりから、すでに夢の中でなされるやり取りは日本語であったように思います。

脱北した当初は思い出に浸る余裕などなく、日本で生きていくのに必死だったため、あえて母国語を遠ざけるような環境作りをしました。
できるだけ、周りに朝鮮語(韓国語)を話せる人がいない場所で生活し、たまに会う脱北者や韓国人から朝鮮語(韓国語)で質問されても、日本語で返するように心がけていました。

今にして思えば、ストイックさのポイントがずれているなと呆れ笑いしてしまうのですが、食事やテレビといった娯楽に至るまで日本に染まる努力をしていました。
(現在は観ない日のほうが珍しい)韓国ドラマを封印し、(現在は常に冷蔵庫の一角を占拠している)キムチを食べることもない日々が続いたのです。

そういった生活を続けた結果、来日して3年ほど経った頃には看護学校に合格。同じタイミングで出会った旦那から「地方出身の日本人だと思った」と言われる程度には日本語が上達しました。

一方で母国語であった朝鮮語はどうか。
聞いて理解する分には全く問題ないのですが、自分から言葉を発しようとしてもすぐに出でこなくなり、流暢な受け答えがしづいという感覚に気づくようになったのを覚えています。

ここからは悪循環で、話しづらい→話さなくなる→もっと話しづらくなる→もっと話さなくなる…という負の無限ループに陥っていきました。

当時は”これでいいのだ”と思い、気にも留めませんでした。
いろいろなものを放り投げて、下手したら人生そのものを棒に振る可能性すら振り切って、日本までやってきたのですから。

そんな私も、歳を取ったのだと思います。

最近は自分のアイデンティティやルーツについて考えることが増え、母国語のリハビリをしたいと思うようになりました🤭

そういった経緯ではじめた私の言葉のリハビリは、韓国のドラマやYouTubeを見ることです。そして、何度も口に出してしゃべってみるといった具合に、日本語を勉強していた時を思い出しながら練習をしていました。

長らく封印していた韓国のエンタメは最高におもしろく、リハビリが上手くいっている実感は持てなかったものの「まあ、いいか」と、日々の生活を潤す楽しみとして私の日常に定着していきました。

しかし、母国語は相変わらず出づらい…
「なぜだ?」と違和感を抱える日々。

しばらく経ってから、ふと母国語が出づらくなった原因にたどり着く瞬間が訪れました。

それは、韓国ドラマだったのです。

リハビリとして観はじめた韓国ドラマが、実は母国語が出づらくなってしまう原因そのものであった。

一見、矛盾しているように思えるこの部分について以下で説明していきます。

日本にも方言があると思いますが、朝鮮半島にも方言があります。

特に私が住んでいた地域は、独特のアクセントですぐに地名がわかるほど言葉に個性があるのです。

私が知っている限りの日本語の方言で例えると、東北のなまりとかが近いイメージです。同じ日本語というカテゴリに属するはずなのに、全く違う言語にしか聞こえないという…😂

20年近く使って慣れ親しんでいた方言。
日本でもあるあるエピソードだと聞いていますが、大学への進学を機に暮らすことになった平壌では、それはそれは馬鹿にされたものです。

当時の私は多感なお年頃でしたから、必死に平壌式のイントネーションを身に付けて、合わせて使うようになりました。

平壌での都会生活を経て、ここまで書いてきた通り、脱北→日本語漬けという期間の後、今度は韓国語を用いたリハビリに至ったわけです。

(朝鮮半島の歴史を知らない方に向けて一つ、付け加えると)
韓国と北朝鮮は半世紀以上、別の国として変化してきています。もちろん、文化も言語も独自に発展しているわけなんです。

そういう意味で私は、リハビリをするつもりが、未修得の言語を身につけようとしていたのだと気づきました🤭

数年に渡るスパンの新しい刺激の連続で、私の脳の言語能力を司る部位が大混乱?になったこととと推測しています💧

私の母国語がいつまで経っても復活しない原因が韓国ドラマにあると睨んだ私は、生まれ育った地方の方言で話す脱北者YouTuberの動画を観る、という新しい手法を試してみることにしました。

すると、なんということでしょう。
あれだけ鳴りを潜めていた母国語が割とすんなり出てくるではありませんか。

大学で身につけた平壌式の洗練された?イントネーションは、いわば付け焼き刃。私の血肉となって刻まれているのは、なまりが愛しい方言だったということです😂

人間は不思議ですね。

韓国の映画やドラマで多く登場する北朝鮮出身の登場人物は、だいたい平壌のイントネーションで話すことが多いですが、私が住んでいた地域は、どちらかというと中国の朝鮮族に近いイントネーションでした。

ちなみに、意識的に隠そうとしない限り、韓国人と北朝鮮人は話し方でお互いを瞬時に判別することが可能です。私にはちょっと難しいですが、日本の方々が初対面の短い会話で出身地を判別できるのと同じだと思います。

ーーー

今回の記事を書きながらぼんやりと考えていました。

あれだけ向こう見ずに突っ走っていた私が、母国語のリハビリをしようと思い至ったのはどうしてだったのか。

来日当初は何も持たず、何者でもなかった。
しかし、長い年月を経る中でいろいろなことを成し遂げてきました。看護師になり、自分の家族を持つことになったのです。

その結果、少しだけ”自分に優しくなれた”ということなのかもしれません。

自分に優しくなった私は、サブスクを徘徊して未視聴の韓国ドラマを探しまわり、冷蔵庫にはキロ単位で購入するキムチを常備。母国の文化を楽しみながら、日本で元気に暮らしています。

あっ、お酒はマッコリより日本酒が好みです💕
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました✨

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