見出し画像

脱北者、子育てについて語る#42

こんにちは。またもや久しぶりの投稿になります。

何かを継続するのは大変なことですね。
新しい習慣を定着させるまでの道のりが、年齢を重ねるほど険しくなってきている気がします。生活に組み込まれ、自然とこなすことができるようになるまでには、時間と根気が必要です。

子どもと一緒に暮らしていることが、今の自分には当たり前になりました。
平日は毎日、朝起きて朝食を用意し、子どもや自分の支度をして、保育園に子ども預けてから仕事に行きます。
文章にすると何でもないようなことに思えますが、独身の頃や夫婦2人で気ままに暮らしていた頃と比較するとなかなかの重労働です。
しかし、日常の中でルーティン化されていると、それなりにストレスを感じながらも、粛々とこなせている自分に気付くこともあります。

これと同じように、noteの記事を書くことも日常に取り入れていけばいいと頭でわかってはいるのですが、なかなか実践できません…
その点は”人間らしさ”ということでご容赦いただければ幸いです😂

2024年が始まってもう3ヶ月が経ちます。子どもが産まれてから、思考回路や生活の全ての優先順位が変わりました。当たり前のように子どものことが最優先になったのです。

以前、脱北して看護師になるまで、そして今の旦那さんと付き合って結婚するまでの過程を記事に書いたことがありました。

看護師になった時すでに30代に突入していたものの、社会人経験も日本での生活経験も少なかったためか、しばらくは子どもを授かりたいと思わなかった気がします。

しかし、看護師3年目くらいから少しずつ”子どもが欲しい”と思うようになりました。きっかけはよく覚えていないのですが、結婚した後に親戚や知人から子どもに関する話題を振られることが増えたのは確かです。

職場の同僚だった40代独身の気が強い先輩から、「子どもできないの?」という言葉を投げかけられたことが私の気持ちを変えたかもしれません。(多少、イラッとしたのは内緒です😎)

ちょうどそういった時期に、旦那さんとドイツ旅行に行きました。ドイツには友人家族が暮らしているので、以前から遊びに行きたいと話していたのです。

10時間以上のロングフライトを乗り越えてたどり着いた、私の人生3度目の海外(①日本②韓国)であるドイツ。

本当に素晴らしかったです。
何が素晴らしかったかというと、あの閉鎖的な北朝鮮で生まれ育った私が、(主たる目的地はドイツだったのに)知人が借りた車に乗ってワッフルを食べにベルギーへ行ったり、素敵な図書館を見にオランダに行ったりと、旅行を自由に堪能できたことです。

そして、ドイツと言ったらなんといってもビール🍺とソーセージ🍖と〜っても美味しかったです。友人家族はちょっぴり申し訳なくなるぐらい全身全霊でおもてなしをしてくれて、最高の思い出になりました。

ただ、ドイツの高速道路で乗用車の時速200kmを体験したのは恐怖の一言でした。あれは一度きりで十分です…😅

楽しい旅行が終わって2〜3週後、息子の妊娠がわかりました。出発前に気づいたら中止にしていただろうことを考えると、ママの旅行を邪魔しないタイミングを測って来てくれた、親孝行の息子だなと思います。

その息子は36週の早産で生まれました。

余談ですが、早産しやすい職種のトップ3に看護師と女医が入るらしいのです。

特に当時の私のようなオペナースは、妊婦にとっては最悪な環境といえます。まず、オペ室は手術創の細菌感染の抑制目的などで、室内をキンキンに冷やします。妊婦の大敵、冷え。

さらに、手術中は極度の緊張を感じながら数時間立ちっぱなしで過ごすのが日常です。場合によっては、手術に必要なものを走って取りに行かなければなりません。

もっと最悪なのはレントゲン。整形外科などは手術をしながらレントゲンを撮ることもしばしば。被曝しないように防護服などを着てはいますが、妊婦にとって良い環境とは言い難いものがあります。

妊娠中は万事が上記のような具合だったので、早産は起こるべくして起こったものかもしれません。

その息子は成長がゆっくりで心配でした。
特に気になるのは言葉。

3歳になってもほとんど会話をすることができなかったのです。調べてみてわかったのは、親がバイリンガルの子どもは言葉の発達が遅れるケースが多いこと。実際に日本から海外に行かれた方々の子どもたちも、言葉の発達が遅い子が多いと知ることができました。

普段は忘れていることも多いのですが、そういう時に「そうか、私は(朝鮮語・日本語の)バイリンガルだった!」と改めて気付かされました。

北朝鮮で暮らしていたときは、”子どもの発達がどう”という話題を聞いた記憶がありません。乳幼児検診でのスクリーニング検査など、言うに及ばずです。
振り返ってみると、小学校くらいまで言葉がつたない子やいつまでも友達の名前を言えない子など、それなりにいたように思います。明らかに違いが感じられる重度の子は別としても、みんなそれなりに育っていったような。

北朝鮮の障害者が置かれている現実については、以下の記事をご参照ください。

日本でも発達障害グレーゾーン、発達の凸凹(デコボコ)などの概念は比較的新しいもののような印象があります。

看護学校で子どもの発達について学ぶ時、授業で触れていたかもしれないのですが、あまり記憶に残っておらず。やはり、我が事になって初めてアンテナが立つのかもしれません。

心配な気持ちが募る中で思い立ち、市の「ことばの相談室」に相談に行って、療育につながりました。それから週一度、息子は療育に通い、楽しく学んでいます。

4歳なった息子は、会話がかなり上手にできるようになりました。先日あった保育園の面談では、”保育園での日々を問題なく過ごしており、年中からは心配ないでしょう”と言われるに至っています😭

市役所の療育担当の方から、子どもの発達の遅れに気付かないまま年齢を重ね、小学校に行ってから不適応を起こして初めて発達の問題が発覚するケースがあると聞きました。

幼少期の子どもの潜在能力はすごいので、できるだけ早い時期に必要な支援に繋げるのが、子どもの未来のためにとても大切な場合もあると気付かされました。
ただ、これは今だから言えることだと思っています。

言葉の相談室に繋がる前の私たちは、大きな不安を抱えていました。
我が子に”発達の問題がある”という烙印を押してしまうのではないか、ありのままの息子を見てもらう前に発達障害というラベルが一人歩きしてしまうのではないか、専門機関にかかった履歴が何か将来に悪い影響を与えないか。
夫婦でそれなりに悩み、話し合いを重ねた末に療育にたどり着いた経緯があります。

まだ結論を出すには早いかもしれませんが、今のところ私たちが抱えていた心配事は、可能な範囲で情報収集し、体験した限りにおいては杞憂であったといえそうです。

(少し成長のスピードが遅いだけで)発達に問題はない子が療育を受けたとしても、悪影響を被ることはないようです。また、発達に問題を抱えている子が早期に療育に繋がることは、可能性を広げてくれるかもしれません。
当たり前のことですが、自分の子どもが前者なのか後者なのかは、育ってみないとわからないのです。
しかし、最終的に“どちらに転んでも悪いことはなさそうだ”と私たち夫婦は判断しました。そのことは改めて書き添えておきたいと感じています。

今回は北朝鮮の話ではないですが、親として気づいた点について書いてみました。

ではまた、よろしくお願いします。

以下、応援エリア
投げ銭受け付け用の有料エリアになります。もし「応援したい」「面白かった」「いいね」と思っていただけた方は、ポイと投げていただけると励みになります☺️

記事の内容はすべて無料エリアに掲載されていますので、購入しなくても問題ありません。

↓↓ ↓↓ ↓↓ ↓↓

ここから先は

26字

¥ 300

この記事が参加している募集

育児日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?