金正恩よ、私は家族を諦めないから。 #73
こんにちは。
来日当初、私が何より優先して行ったのは家族の安否確認でした。
そして、家族が政治犯収容所送りにされたという残酷な事実を知ることになります。
ゆくゆくは家族も助けるつもりで起こした行動が、結果として家族を死地に送り込むことに繋がってしまったのです。
当然、私は自分を責めました。
罪の意識を背負ったまま生きていけるか…
いっそのこと死んでしまえば楽になるかもしれない…
そんなことばかり考えて思い詰めていたときもありましたが、周囲の人々の支えがあって何とか生き延びることができました。
「家族の分まで強く生きていこうじゃないか!!」
その時から、ひたすら前だけを見て走ってきました。
そして、北朝鮮に置いてきたものを思い出さないようにするため、全力で封印しました。(どれぐらい全力で封印したかを知りたい方は下の記事をご参照ください)
しかし、こういうものは”封印したから忘れられる”というものではありませんね。
日本にいる親戚と会うタイミングで度々「北朝鮮から手紙が届いていませんか?」と確認していましたし、時には「昔のものはありませんか?」と過去に届いた手紙を探してもらうようにお願いしたこともありました。
しかし、親戚が送ってくれた手紙を読む勇気はなかなか出せず、ちょうどいいサイズの箱にしまい込んだままになってしまいました。
当時は、日本語を習得したり、学校の勉強に苦しんだり、生活費や家賃の支払い追われたり…日本の生活に慣れるために、心と時間の余裕がない日々を送っていたことが影響していたかもしれません。
…と書きながら思いましたが、これは単なる言い訳です。
たぶん私は自分が引き起こした事態や家族に与えた影響、それを通して感じる罪の意識に向き合うことが怖かったのだと思います。
何はともあれ、ここまで書いてきたような経緯で、私は北朝鮮から送られてきた手紙をたくさん所持しています。
保管している手紙の中には、私が脱北直後から1年3ヶ月ほどの期間を過ごした中国の日本領事館宛に届いた、父からの手紙があります。
脳梗塞の後遺症のため、まともに字も書けない状態で綴られたもので、「助けて」という悲鳴が聞こえてくるようでした。
政治犯収容所に連行される前に父が必死に書いたもの…
初めてこの手紙を読んだとき、私は泣き崩れました。
当時の私は領事館で外の世界と隔絶された生活を送っており、電話はおろか手紙のやり取りすら許されない状況だったのです。しかし、「もしこの時、私が日本にいたら…」と意味のない後悔を止めることはできませんでした。
また、私が大学生の時にお母さんが親戚宛に書いた手紙もありました。
「娘が特殊メイクを学んでいますが、道具がありません。送ってください。」という内容…
その時はまだ北朝鮮で希望を見つけようと模索を続けていた時期です。
当時の記憶や感情が蘇り、母の愛情が伝わってくるのも相まって、またも私は泣き崩れてしまいました。
これらの手紙は、私が生きている間は大切に保管し、死んだら私と一緒に棺に入れてもらおうと思っています。
noteの記事を書くことで、これまで目を背けてきた事実や自信の想いと正面から向き合いたいと思うようになり、全ての手紙を読み直しました。
たくさん泣きました。
そして決心しました。
もし私の家族が政治犯収容所でそのまま亡くなってしまっていたら、みんなを覚えているのは私しかない。
このままではあまりにも悔しい。
もっとたくさんの人に私の家族を知ってもらい、共感してもらいたい。
どれだけ悔しかっただろう…
どれだけ辛かっただろう…
どれだけ脱け出したかっただろう…
こういったことを考え出すと、いても立ってもいられなくなってしまいました。
今からでもできることをしよう。
私は行動に移すことにしました。
韓国には、北朝鮮の政治犯収容所から生還した脱北者たちによって作られた団体があります。
彼らは、時に10年以上に渡る悲惨な収容所体験を世界に伝えることや、寄せられた救出対象者の情報をリスト化し、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に訴える活動をしています。
特定の人物を救出対象者として申請できるのは、その家族に限られます。
私もその中の1人、勇気を出しました。
先日その団体と連絡を取り、家族の詳細をまとめた書類を作成しました。現在は、その書類をUNHCRに提出するべくやり取りしている段階です。
家族写真や父の手紙を用意し、同じ地域出身の脱北者から証言をもらう手はずも整えました。
その書類の提出を受けたUNHCRは、(一応”加盟国”である)北朝鮮に私と家族の情報を提示し、安否の確認を求めます。
すると北朝鮮は、定められた期間内にUNHCRに回答をしなければならないという仕組みになっています。
残念なことに(当然のように?)これまでUNHCRを通して投げかけられた数千人分の安否確認に、北朝鮮は一度としてまともな回答をしたことがありません。
しかし、この活動には大きな意義があると私は確信しています。
北朝鮮に対して、「父・母・姉の存在をしっかりと覚えているし、今後も決して忘れることはない」と認識させることになるからです。
そして、もう一つ。私の家族が救出対象者として登録されると、将来的に北朝鮮が崩壊した場合、UNHCRが現地に入った際に、リストアップされた人々の安否確認を真っ先に行うことになっているからです。
これは大きな希望につながります。
今の北朝鮮は揺れに揺れていますから。すでにガタガタです。
具体的なイメージは全く湧きませんが、家族と(その痕跡だとしても)再会できる日は遠くないと私は信じています。
UNHCRとのやり取りに関する進捗は、続編記事として改めて投稿していく予定です。
ではまた。
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