はじめまして。うえだイロイロ倶楽部に関わる私のお願いごと。

どうも。伊藤茶色です。
長野県の旧丸子町(現上田市)出身で、演劇に関わりながら暮らしています。普段はシアターとゲストハウスを持つ民間文化施設「犀の角」の文化事業のスタッフをしていたり、個人で演劇を作る場を作ったりしています。
私が個人的に「文才あるな〜書けるな〜」と勝手に感じている周りの人がnoteを使っていて、思ったことを文章にする練習を形からまず!と思って始めた次第です。といいながら、結果一発目はお願い事になりました。唐突ですみませんが、聞いてください。


犀の角に関わり始めて、一番おもしろくやりがいのある活動だと思っている「うえだイロイロ倶楽部」の話。
劇場に出入りするアーティストなどのアート従事者、商店街の人、「のきした」に関わるNPOや有志の個人、大学生や高校生のボランティアとともに放課後、異年齢・他学区の子ども若者たち40人弱が劇場に週一回集まって過ごしている。
いま、一緒に活動しているのは6歳〜17歳の色んな子たちだ。倶楽部には国籍も障害も隔てがない。そんな中、たまに「うちの子は困った子だ」と言ってくる親御さんが居る。そんな時は、活動で起きたその子の関心した話・大好きだなと思った話をシェアしてみる。すると、親御さんはちょっと緩む表情になった。という出来事があって、記憶を思い起こす。

うえだイロイロ倶楽部 活動のはじめはみんなで遊びます。

子供の頃を思い出せば、私も相当扱いづらい子供だったと思う。間違いなく、親からも先生からも困った!と言われる子のひとりだった。
小さなことでも気に入らなかったり、悲しかったりするとすぐ癇癪を起こして、とにかく泣く、泣く。なんでだろうと、記憶を紐解くと、家でも学校でも「ここ」では思ったことを言ってはいけない、素直になれない、安心とか無いと思っていた気がするし、常に周りが敵に思えて仕方なかった。
わたしの家は祖母が絶対。戦時下を経て自他ともに認める苦労人だった祖母にとって楽をすることは悪。学校に行き始めて祖母の厳しさが大きくなった様に思う。無遅刻無欠席、忘れ物はしない、ちゃんと九九が言えて、きちっと宿題を提出できる子が良し。私はその一個もままならなかった。風邪で休むこと、行きたくないということ、だらしがないとすぐ怒られた。(あ、祖母のことは
好きではあるし、尊敬してはいる。)
もっと大きなことを抱えている家の中は世に沢山あると思う。身体的な虐待を受けているわけでもない、こっぴどいいじめがあったわけでもない。でも、決して「できる子」でなかった自分には居場所だと思える場が存在しなかった。

そんな私が演劇をここまで続けることを選んだのは小学4年生で出会った子供劇団での思い出が根っこにあるからだと思う。
自分の「やりたい」「いやだ」が言えるユートピアだった。最初の公演ではヒロインとなる白い可愛い猫の役をあてがわれたが、例え衣装だとしてもスカートは絶対履きたく無い!と主張し、それを受け止めてくれたり、次の公演では「怪盗キッドがやりたい」と言ったら登場する台本やマントやシルクハットを一緒に準備してくれた大人の人たち。私が作った拙い台本を一緒に創作して上演してくれた学区も違う年齢も違う友達たち。家や学校でうまくいかなくても、劇団では必要だと思い合える役割があって、稽古や仕込みの中で自分が大事だと思えることを言える。家庭や学校以外、どうやらここは私が「私」で居ていい場所らしい・・やっと出会えた気がした。「芝居を作る」ってことがこんなにも自分の存在を認識し主張できるものなのかと。子どもながらに、これしか生きていく道は無いと思った。

高校も面白い演劇部に入ることを目的にした。本当は偏差値が一つ上の学校にいくことができたけど、体験入学の部活体験である出来事で面を食らって、進学先を変更した。祖母が何を言ったかわからないけど、母からはちょっと反対された。
高校生になってからは、毎日、毎日、演劇部に励む。部活への責任感は人一倍で、鬼と呼ばれるほど一生懸命に、多分信頼されてた部長になっていった。パーライトかっこいいー、照明っていいじゃん。あ、茶色って呼ばれたいじゃん。おそらくこの頃に今表に見えている私という表現の形成ができたように思う。
でも、挨拶程度、世間話をする同級生は多いわりにクラスには馴染めない、というか馴染まない。毎日朝のホームルームに遅刻して宿題もほとんど提出しない、よく呼び出しが掛かる困った生徒であり、演劇ばっかりで家には帰ってこない、家を顧みない孫であった。当時の様子、母談。ある時祖母は「演劇なんてやめてしまえ」と母に言ったらしい。祖母の真意はわからないけれど、母は「演劇を取ったら死んでしまう」と、必死に庇ってくれたらしい。母がなんでそこまでの言葉を発してくれたのかはわからなかったけれど、よほど私は枯渇していて困窮していたんだと思う。

演劇部時代、後輩に作った照明の基礎知識テスト。何様だ、笑。

家でも学校でも、私はこれまでずっと困った子で、自分でもわがままに生きてきたと思っていた。けれどもそれは、家や学校だけではない自分以外の誰かに出会ったことで「見えてること以外の選択肢」を知ったからそうなったんだと思う。他者という合わせ鏡が今見えている出来ない自分とは「違う表情」を見つけ認めてくれたからこそ、私がここまで“生きるために自分で選ぶ”という表現ができた。

ちなみに、その表現の一つ、私の中学〜高校時代の将来の夢が、劇場に勤めることだった。専門学校や公共劇場の受付事務、劇団運営を経て、いまのところ叶っている。それもなかなかカオスな場所(ほめている)で面白がっている。

そして、そこに今、困った子と言われることもある子ども若者たちが訪れる様になった。何の因果か・・。

イロイロ倶楽部は予期しない、興味深いことの連続だ。子どもたちは自分の「やってみたい」を今持っている言葉や態度で表現してくる。うまく表されることは珍しくて、確かに困ったなーと思うときもあるけれど、個人的にも実感があるが故に対話をできるだけ試みたい。
一緒に試みてくれる変な大人たちにも恵まれた結果、自発的なオリジナルの演劇台本が創作されて稽古してみたり、街に出て商店街の人たちにインタビューしたり、焚き火をしながら、囲碁をしながら、スライム作りながら、お手伝いをしながら、またおしゃべりをする。喧嘩だってする。でも子ども同士で仲裁しあったり、秩序を保ったりする。(あ、ダンボールで作った家が連なって、村になり、その村では村人たちの争いが起きたりもした。そしたら、その村を旅人として現れた子がルール(法)を定めて鎮火したり・・)
それぞれのやってみたい・やりたくないを聞き合いながら、この時間を一緒に過ごしていると、知らない彼らに出会う。これがもしかしたら彼らのまだ知らない「私」の発見につながっているかもしれないとワクワクする。今の種まきはどれくらい経ってから発芽するかはわからないけれど・・。

困った子と言われるのは親や先生から見た今のところの様子であって、彼らはまだ「私」が見えていなかったり、表現がまだできていないだけなのではないかと思う。「私」が見えてくる・表現するようになるまでには、時間が必要。その時間の中で、自分が「これだ!」と思える物・事・場・人との出会いが必要だと感じてる。それが他者と繋がれる何かになるのかもしれないし、今見えていないものを見せてくれる生きていく術になると思う。

と、2年やってみて、自分に反芻してみて、今のところそんな心持ち。
まだまだ実験途中だ。言語化も足りない。
とても時間がかかる。
だからこそ、ここで止まってしまったらと思うと、心が苦しい。

実は、今、活動が継続できるかの瀬戸際に立っている。2年間、ありがたいことに支援いただいていた文化庁「地域文化倶楽部(仮称)創設支援事業」の枠組みは来年度から吹奏楽部のみが対象となり、私たちの活動は「⽂化部活動の地域移⾏に向けた⽀援」として事業・法人単位ではなく自治体単位の申請に切り替わるため、同じ枠を取ることは今のところだと難しい。

長い長い前置きで恐縮だけど、今イロイロ倶楽部は長野県みらい基金の取組み「信州の特色ある学び事業・団体助成プログラム」にて活動資金に対する寄付を募集している。
悩ましいのは、資金という力がないこと。継続するための力が欲しい。
もし、力になってくれる人がいれば、どうか、協力をお願いしたい。周知も本当に嬉しい。
どうぞ、どうぞ、よろしくお願いします!
(ボランティアとして活動に関わってくれるひとも募集しているので、見学からぜひ!)

🔻うえだイロイロ倶楽部専用ページ
https://www.mirai-kikin.or.jp/donation-program/3543/
寄付募集期間:2022年12月23日(金)〜2023年2月28日(火)
目標額:500,000円(中間目標:①30,000円 ②324,000円)

★今回集めた寄付金は、当倶楽部ならではの体験活動を通しての学びをこれからも令和5年以降も継続していくために活用されますので、保護者の皆さまをはじめ、本活動に賛同いただける多くの皆さまにご支援のお願いです。
直接のご支援だけでなく、SNSなどで周囲の皆さまにもお声がけにご協力頂けますと大変励みになります。

【信州の特色ある学び事業・団体助成プログラムとは?】
信州の豊かな自然環境の中で遊び、学びながら、生きぬく力を育む「やまほいく」・「山村留学」や、子どもたち一人ひとりの個性・状況に応じた「フリースクール」など、子どもたちの個性を大切にし、さらにそれを伸ばす取組が各地で行われています。
長野県みらい基金と長野県では、このような取り組みを一層充実させるため、寄附募集サイト「長野県みらいベース」において寄付を集め、自然の中で遊び育つ「やまほいく」、暮らしながら学ぶ「山村留学」など信州の特色ある学びへの支援を行い、子どもたちが主体的に学び続けられる環境づくりを進めます。(HPより抜粋)
https://www.mirai-kikin.or.jp/donation-program/3543/

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