言えない話2

さよなら、東京生活:あまり明文化されない場に出会うときに、まちの奥深さを知る

私は、参照先のない情報があまり好きではない。

「ランチおいしかった〜!」とSNSに書くなら、最低でもその店名と地名は欲しいし、可能なら営業日・営業時間を知りたい。
せめてリンクを、しかも公式の。公式がなければ食べログでもいいが、なるべく個人のブログ以外がいい。
参照先が個人ブログしかないなら、読み手のことを考えた各種情報を載せて、食べたメニューやそれ以外のオススメもあると嬉しい。

そう思っているので、自分が情報系のブログを書くときは面倒になってしまい、結局書かない。

一方、noteではそこを意識せず思考の垂れ流しに特化してだらだら書く場所にしている。お店の名前も地名も書かなくても自分で気にしない方針。

さて、参照先のない情報が好きではない理由を「研究者気質だからじゃない」と人に言われ、妙に納得した。「この分野の先行研究は? で、その論の根拠はどこ?」を問いかける癖があり、そこがないご意見に関しては若干イラつきがち。

それはともかく、

表題の「明文化されない場に出会うときまちの奥深さを知る」について。

まちをぶらぶらしたり、まちのことを調べたりするのが好きなものにとって、「これはなんだろう?」と思ったものを調べたり、「こんな面白いもの見つけたよ」と発信するのは好きだったりする。

だけど、こんな面白い場所あったんだと知ると、それはわかりやすい参照情報として残したくない気がする。

ただ、感情表現になる。

「おおおおお〜」です。

まちの古本屋の店番をしたことによって、出会うことが増えた、それ。

今までは、まちの風景として、ただすれ違うだけだった人たちと直接に触れ合うことになって、
ときに表面的な伝え方だとわかってもらえないような、
表に出せない出来事というのも結構あった。

この話は自分の中にしまっておきたいなあとか、
すごく誰かに話したいけれど、不特定多数の人に提供する情報じゃなくて、この話の奥深さをわかってくれそうな親しい友人に、
こそっと打ち明けたい物語だったりする。

そして一緒に「おおおおお〜」と言って欲しい。

常連だけしかいないお客のお店とか、隠れた名店だったりとかは必ずどの土地にもあるもので、そこには明文化されないディープな場が存在している。

特別な人でなくても、街の雰囲気をなんとなく作り上げている。
思い思いに歩く一人一人がそのまちを面白くしている。

私はいつも世界の観察者であるが、観察者もまた、まちの一人一人に触れて出会ってしまう何かを言葉にできないまま、なんだか面白いものに巻き込まれていくのであります。

先日、引越し直前に、住んでいたまちのディープスポットに出会い、気がついたら大相撲カレンダーを買うことになっていたのですが。

その話はまた今度、あなたと、どこかで会えたら。