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2.演劇に出会う前はどのようなことを考えていたか?


 ⅰ 生い立ち1
子供の頃の体験は人のその後にとって大きな意味を持つ。私の場合を例にとると、川の近くで育ち、沼のような池や、湧き水など「水」というものを観察し、戯れる機会に恵まれていた。蜻蛉などの幼虫であるヤゴ、ミズカマキリ、タガメといった水生生物のトリッキーな動きに魅了された。今の住まいの近くにも川があり、普段そのことだけで心の奥で「幸せ」を感じることができるのだ。
 私たちの「身体感覚」はどのように形成されていくのか、科学的な知識はほとんどないが、演劇の世界に足を踏み入れると、嫌でも感性と、身体というものの作られ方を考えざるを得ない。
昔のことで今思い出すのは、過激なダンスカンパニーであるスペインのラ・フーラ・デルス・パルスの公演だ。 横浜の倉庫でおこなわれた出来事は、もはや演劇やダンスとは言えない、裸の白人の男女が白塗りで倉庫の中を暴れまわり、生肉を投げ合いながら喧嘩したり、天井からロープでおりてきたり、「原始の人たちはこういう野蛮な人たちだったのだろうか」とどこまでが仕込みで、どこからが本当の出来事なのか、次第にわからなくなるように感じた。強烈で異なる身体を魅せられた印象は忘れられない。
 身体の形成には外的な驚きもあれば、内的な欲求もある。内的な欲求は性欲と深く結びついている。30代の頃までどこまでは性的衝動で、どこからがそうではないのか、客観視することが出来ないように思ったが、ともかくもそのようにして身体感覚は形成されていく。
 10代の頃、横浜で私は育った。1980年代の横浜は、少し他の土地とは違っていた。京浜工業地帯は、重工業で日本の産業を長年支えてきたのだが、そのピークを越えて衰退期に入っていた。工業都市は森林や海とは違い風化と劣化のスピードは早い。軍艦島など廃墟の風景が話題になることがあるが、規模としては工業地帯の方が巨大で、少しだけ日常に近いところがあり、そこのところの風化というのは中途半端で、時代に迎合している部分と、廃墟の部分が半端に混ざっていて、活力のない魅力を失った街になっていた。
 とはいえそれが私の原風景ともいえるので、そういった「育ち」のせいだけではないと思うが、世間的には私の嗜好と価値観は少し変わっているとみなされるのだ。世の風潮の流行りものへの冷めた眼差しや、循環型というサイクル、社会的包摂というもの「一見見栄えのあるもの」に懐疑的な点など。むかしバブルの盛り上がりにも全く乗れなかった。
 うらぶれたかつての栄光を懐かしむような残滓が街のあちこちに残っている活気のない工業地帯で出会った人、もの、風景が人生の核となる部分に影響を与え、決定した。例えば桜木町と渋谷を結ぶ東横線とその沿線。白楽や、綱島、菊名から多摩川を渡ってその先の駅。。。工業地帯から洗練された都心へ向かうという高揚もあった。
 石井聰亙監督の映画「バーストシティ(爆裂都市)」 に描かれた廃墟で行われる若者の獣じみた暴力行為というのか、些かエンターテインメント的ではあるのだが、当時の横浜の小中学校の日常感覚に近い。例えば親しい友達が、ある日悪い仲間と付き合いだし喫煙をはじめ、やがて校内をあらし回ったり、教師に示威行為を始めるようになるという日常。そこにマスコミも盛んに宣伝するようになると、ある種アトラクションに近いような状況となる。エスカレートする。ショーと化した報道というものはおよそ人々の関心を得やすく、日常生活にも大きな影響を与える。
ⅱ  生い立ち2
 子供の頃から「商店街」が好きだった。地方にある実家の近くに祖父が建築に携わった(祖父は素封家だった)商店街がある。この商店街は、古びてはいるが、電灯の形や壁の色など、全てが好みだ。市役所の近くのかつては流行ったに違いない目抜き通りの商店街にはもと銀行だった建物(今はカフェバー)もある。地方の商店街なのでシャッター通りに近いのかも知れないが、実家に戻った時にはその通りを歩くのをいつも楽しみにしている。
 ところで札幌には「狸小路商店街」というかなり大きな商店街がある。場所は大通駅とすすきの駅のちょうど真ん中くらい。札幌の東西に広がる商店街はわりと人混みであふれている。店内の客の回転率ならぬ店舗の回転率も早い。おそらく家賃も高額なのだろう。しょっちゅう開店と閉店を繰り返しているような印象がある。
 深夜店が閉まると、商店街ではストリートライブがはじまり、大道芸をする人たちがいる。夜も人通りが途絶えないので、屋根のある場所は風雪に耐えることのできるスペースでもあるので、ダンスの振りを黙々と練習する人も多い。閉店後のブティックなどのウインドーが鏡面になるのだ。
 すすきの周辺の特徴のひとつとして大小のビルに雑多な店舗・・・セレクトショップや居酒屋、ショットバー、デート向けのイタリアンレストランや、高級寿司屋、ガールズバーや風俗など入っていることがある。六本木に近いのかも知れないと思うこともあるが、冬の極寒のなかで、一軒家で家賃光熱費を賄うことの非効率な点と、立地が良いこと、集客が担保できることもある。フロアで共存しなければならないので、意外に治安も保たれている(ような気がする)。首都圏のような廃墟のビルもあまりない。大体が夜中に路面で歩き回ることができないので。若者にとってはその方が遊びやすいという点もあるのだろう。
 「賑わい」という点では、すすきの周辺にあるビル群、商店街ともいつも賑わっている。ビルの方は、賑わいという観点からいうと、各店舗が独立しているので分かりづらいところはあるけれど、中期的な非常事態にもかかわらず、がらんとした印象ではない。よくTVに映し出される市場の閑散とした風景と比べると、頑張っているなと思う。
 コロナ禍のなかでの賑わいというのを肯定的に捉えるのは気が引けるのだが、施設の有効活用ということで考えると、商店街、すすきのビル群共に文化施設は敵わないよなと思う。かつてはそのことが文化施設の広報的な弱さにも捉えられてしまったこともある。別の面からいうと、文化施設の役割というのは例えば「知的好奇心を刺激する場」とも言えるわけで、そういう面をアピールすることこそ優先順位が高くなくては、とも言える。
 文化施設はスポーツ施設ほど、施設の貸し出し希望は多くはない。しかしながら市民に平等に貸し出しができているのか、疑問に感じることもある。税金で賄われているのだから市民に利便性が高く、公平に貸し出す必要があり、考えると知名度は低い、貸し出し希望は少なくないが、利用スタイルが煩わしい(例えば当日空いていてもすぐには借りられない)などあり、市民サービスに追いついていない点がある。
 先ほど、商店街の話をしたが、文化施設の貸出希望が多くない理由として他に「ものを作る場所としての機能」があまり認知されていないことがある。つまり現状の公共施設は表現を研鑽する場、稽古場としての理想的な場ではないということだろう。あくまで集会場として、区民館などが担ってきた役割の延長線上にある。だがそれでは「地域の文化を発進する」という所期の目的を達成することができていない。
 話を戻すと、ビル群や商店街の賑わいの理由は何であろうか。「シャッター通り」と揶揄されてネットストアの隆盛や、コンビニの充実などから完全に時代遅れとみなされ、確かに全国的に見ると、郊外のイオンスーパーや、コストコ、アウトレットショップに押されている。だが一方「コンパクトシティ構想」もあり、高齢化社会のあり方として、地域の主要駅などの限られた場所を、高セキュリティ、コミュニティ設備の充実を今後考えなければならない時期に差し掛かっているという事情がある。そうなると郊外店舗もまた、再度都市回帰の風潮が高まり、元々駅前に多くある商店街の再整備が低コストで実現可能な選択肢として浮上してくることもありうる。
 人々が賑わう理由としては親しみやすく、ある程度の自由度が担保されていることが挙げられる。市民目線で価値、必要性を考えて議論していくこと。かといって専門家の意見のみを拝聴するような仕組みを作らず、遊びと確たるヴィジョンを持って具体的に文化政策を進めていくことができればと考える。

 子供の頃を振り返ってみるとテニスとサッカーに夢中だったスポーツ少年でもあった。スポーツ少年がハイティーンになって、何か別のものに興味を広げようとしたところに、アートとの出会いがあった。
 工業地帯の典型的な土地柄に育って、美の価値に少しスパイスが効いてしまったように思う。T Vに映る美しい街並みや自然を他所にスモッグや、人工的な生暖かい風が吹く汚れた街に住み、学校という未成年にとってのスタンダードスケールが、暴力によって崩壊している場で、仲間と交流する。そんな日々が少年である私の感性を育んだ。
そして音楽・・・社会への不満や、このような生活環境の恐怖・・・暗闇、カオスそれ自体捉え所のない心情に、心から共鳴できる音楽との出会いがあった。共鳴できる他者の世界に触れながら、投影する分身のようなものとの出会いは素晴らしかった。
 誰でもそうだと思うが自我の目覚めから、人格形成を育む時期に、世界をより深く知りたいと考え、乏しい経験を軸に学習していた頃、私は演劇に出会った。その出会いは強烈で、後から考えると人生を左右する出来事だった。

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