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人を育てる教育のはなし

2021年の春に鳩間にきて、もう少しで1年。

4月からどうしようかなあってずっとずっと考えてきて、いろんな人と話しながら、なんとなく、とりあえずの方向性は見えてきた。

ほんの1週間前まではなにひとつ見えなくて、悩みまくってたのに、この1週間で自然と答えが見えた気がする。人生って不思議だね。

こないだ行われたトリムマラソン大会も、その決断を確かなものにさせた要因のひとつかもしれない。


鳩間の学校は、本当に行事が多い。

正確にいうと、どこの学校も多かれ少なかれ行事ってたくさんあるんだと思うけど、鳩間はほとんどの行事が、島のひとの協力なくして成立しないものになっている。だから、参加する機会が多い。

というのも、そもそも人数が少ないので、運営的に先生たちだけでは大変というのもあるのだろうけど、昔からこの島は鳩間小中学校とともに生きてきたから、という答えがそれに近いと思う。

トリムマラソン大会は、いわゆるごくふつうのマラソン大会なんだけど、そのコースが町内一周するもんだから、それぞれのポイントに島のひとが配置されてて、それぞれが沿道でフライパンやら鍋やらを叩いて当日応援していた。笑

ちなみに一般参加の部もあって、島の人たちが子どもに応援されながら一生懸命走るのだ。

子どもたちは、このマラソン大会一つとっても、たくさんの期待を背負って、声援を受けて、完走する。

息子も、小学校3年生ながら、6分50秒を切る自己新記録のタイムで、総合2位、小学生で1位という素晴らしい成果をおさめた。

色んな人に褒められて、すごくすごく嬉しそうだった。

もしかしたら、田舎ではこの光景が普通なのかもしれない。けど、今まで都会で育ってきた私にとっては、こんなに地域と学校が一体になっている環境というのは見たことがなくて、この日は、なんていい島なんだろうなって思った。

マラソン大会ひとつで、こんなに自信を付けてもらえる学校って、そうそうないんじゃないかなって思ったんだ。

それと、行事ひとつだけでなく、わたしが学校に対して肯定的になれたのは、今この島にいる先生たちの姿を、すぐそばで見てこれたからだと思う。

私はこれまで、日本の教育に対して不信感しかなくて、学校に肯定的な感情を抱いたことがなかった。

改めて考えると、これまでは仕事ばかりで学校に関わったことなんてほとんどなかったのに、よくまあそんな偉そうなこと言ってたなあって今なら反省するけど、でも基本的に日本の教育はあんまり期待できなかった。

どちらかというと、息子が大きくなる前に海外にでも行こうかなとか思ったりしてた。教育という観点でいうと、日本はダメだなあってよく色んな人と話したりしてきた。

でも、この島に来て、その考え方はすごく変わった。今まで何も見えてなかったんだと分かった。

この島は、昔から里子制度をつかって125年間も学校を存続させてきた。島の人たちが都会の子どもを預かって、家で育てて学校で育ててきた。

今は里子制度とは少し形は変わったが、島にいる子どもたちは、基本的に都会からきていて、親元を離れて寮で共同生活をしている。

親元を離れてくるにはきっと色んな理由があるわけで、どの子も多かれ少なかれ不安や悩みを抱えてきているんじゃないのかなと思う。

だからというわけではないと思うけど、この島の学校は、本当にひとりひとりに向き合っていると思う。向き合わされている、という言葉が正しいのかもしれないけど。

もしかしたら放っておくこともできるのかもしれない。そこまでひとりの子に向き合っている時間なんて本当はないのかもしれない。

でも、それでも、放ってはおかない。ひとりの子を放っておくと、学校運営に支障が出るからというのもあるかもしれないけど、ひとりひとりと向き合っていると思う。

子どもも先生も、誰かひとりでも欠けるといろんなことに影響するんだろう。そんな気がする。

ふつうの学校で、ここまでひとりの子を気にかけてくれることって、たぶんない気がする。そりゃあ人数比が違うからしょうがないんだろうけど、この島は、子どもの数に対して、気にかけてくれる大人の数がとても多い。

それは先生だけじゃなく、さっき言ったように島の人たちの存在があるからかもしれない。

学校も島も、良くも悪くも運命共同体で、学校行事も島行事も、どちらか欠けると成立しない。だから先生たちは、学校の先生でもありながら島の人でもあって、本当にオンオフなくて大変そうだなあって思う。

けど、でもなんだかみんないつも楽しそうだなあって思う。この島に来て、一番印象的だったのは、先生たちが子どもたちと一緒になって楽しんでることだった。

横浜の学校で、先生が楽しそうっていう光景を見たことがなかったから。どちらかというといつも大変そうというか、見きれてなさそうというか、そういう印象しか持ったことがなかったから。

だから、私は鳩間に来てこの一年で、たぶん誰よりも近くで、保護者として島の人としてひとりの大人として、息子の成長やまわりの子たちを見てきて、教育現場って本当にすごいんだなあって尊敬するようになった。

わたしは人の心に残る仕事をしたいとずっと思って生きてきたけど、先生たちはいつも子どもと向き合って、子どもの心に、人生の糧になるような、仕事を日々しているのかもしれない。

教育には正解はないし、先生も子どもも人と人の付き合いだから、きっと合う合わないとか、その日の感情だったり思いで日々葛藤することはたくさんあると思う。

でもそれでも、目の前にある現場と向き合って、一人ひとりの子どもと向き合って、人を育てていく学校という場所は、本当すごいなあって。私は鳩間にきてから思えた。

きっとそれだけ、息子も成長させてもらったからだと思う。この1年で息子は、たくさんの経験をして、たくさんの人に叱られたり褒められて、泣いて笑って、たくさんの自信が付いたと思う。

ここは、本当にふつうの学校では経験できないことがたくさんあると思う。

もちろん島にはないもないし、大人だけじゃなく子どもにとっても、刺激は少ないし、正直退屈してしまうくらいやることがない時もある。

でもそれ以上に、考えたり触れたりすることが多い。

だから私は、今この瞬間の息子と私の時間を、もう少しこの島で過ごしてみてもいいんじゃないかと思ったんだ。

子どもにとっての1年は、とても長い。
正直あと一年、この島の暮らしに私が耐えられるかというと微妙だと思う。本音は寂しいしちょっぴり飽きてる気もする。

でも、私のこと以上に、これだけ成長している息子をみると、自信を付けさせてもらった息子をみると、もう少し長い人生のほんの一瞬を、ここで付き合ってみてもいいのかなあって、そう思えた。

この先のことなんて、何ひとつ分からないし、何ひとつ決まってない。
でもだからこそ、今はもう少し、自分たちの身が置かれたこの状況に、賭けてみてもいいかもしれない。

2022.01.30

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