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「人間交差点」としての酒場

新型コロナウィルスの影響で多くの酒場が姿を消した。
昨年春に京都でも長い歴史を持つダイニングバーが歴史に幕を閉じた。
店の名前を「DEN-EN」と言う。

 1939年に開業したその店は、三条河原町通りと木屋町通の中間地点にあるVOXビルの地下一階にあった。巨大なホール部分と、その隣に独立したカウンター部分がある。
ホールでは大学のサークルの大規模なコンパや、結婚式の二次会、稀に街コンが催され、京都の若者なら一度は行ったことのある巨大なハコであった。

しかし、それよりも特徴的だったのはカウンター部分であろう


 巨大な楕円形のカウンターは大理石で作られており、20〜30人は座れるはずの巨大なものである。バーテンダーはこの円の中に入り、客と話をし、酒を作る。さらに極め付けはそのカウンターの周りをぐるりと囲むように鎮座しているキープボトルの数々である。最も安いジンかウォッカならば2000円程度でキープができ、ボトルで作ればカクテルの価格は200円で済む。

お財布に一抹の陰りがある大学生や若者が通い、日々ここで酔い、愚痴をたれ、無駄に騒ぎ、口説き、口説かれ、時に涙を流した。こうして多くの人は酒の味を覚え、常連となり、そして夜の街へ飛び立っていく。いわば木屋町の、夜の街の教習所のような店だ。

 日本中を見回しても、こんな若者に特化した巨大なバーは他にはないだろう。狭いハイドアウトのような佇まいでは無いため、入りにくさは他のバーに比べれば無いのと同じだ。だから少しの勇気と、千円札を数枚握りしめれば、夜の世界へのチケットを手に入れることができた。酒の味と、人付き合いを覚えるための場所、酒場。

 そんな酒場での楽しみは単に「酒を飲むことだけ」ではないということを私はこの店で教わった。

 私がはじめてカウンターに、足を踏み入れたのは大学2年生の時だったはずだ。
 当時の私にとって、その場所はあまりにも大人な空間であった。そして、一緒に来ていた女性の先輩とこの後どうなってしまうのだろうという下心が加速していた。ちなみに、どうにもならなかった。

 次に訪れたのは、大学3年の夏休みに入る直前、祇園祭のころだった。大学生のバイトらが浴衣を着て、往来を行く人々に酒を売っていた。私たちを見かけるとすかさず女子バイトが飲んでいけと誘ってきた。他の出店は少々怖かったのに、そこだけ学園祭のような雰囲気で、妙に心地よかった。
 すでにほろ酔い加減だった私は、祭りの雰囲気に任せて、声をかけてきた見知らぬ女子に連絡先を交換してくれるなら酒を買おうと言った。女子は祭りの間の三日間毎日来て、酒を買うなら交換してあげると言ってきた。
 売り言葉に買い言葉、私はその提案にまんまと乗ったのであった。三日間きっちりと私は通った。おかげで出店を担当していたスタッフたちと仲良くなった。

 初めて、大学の外で、なんの縁もゆかりもない人たちと交友関係を作った。大学やサークルでの付き合いが下手だった私にとって、たった数時間、一緒に酒を飲むだけで作られる交友関係は痛快だった。
 ここから私はバーや飲み屋で見知らぬ人たちとの交流が始まった。ちなみに、女子バイトと連絡先は交換してもらえなかった。

 そこから10年間、行かない時期も少しはあったが、通い続けた。一人で行ってはバーテンダーに悩み相談をしたり、様々なお酒を教えてもらったり、たまに説教されたりした。
 常連の友達もできた。大学も性別も違う、10年来の掛け替えのない飲み友達もできた。知らない人とおしゃべりすることも苦ではなくなった。そうして、そんな人間関係を築く中で関係を持った人もいたような気がするが、いなかったかもしれない。酒の席での出来事である。覚えていなくて当然である。

 しかし、なにより通うことで気がついたのは「酒場」が酒を飲むためだけの場所ではないということだった。そこは様々な人間と交流しては、去っていくような交差点が「酒場」であった。

 「酒場」において、お酒を飲んで酔って騒ぐことはそれほど大切ではないのかもしれない。それがきっかけで作られる人間関係の方がよほど価値がある

 それは、男女の出会いだけではない。例えば、そこで出会うかけがえのない友人かもしれない。まったく異業種の人だけど、なぜかウマのあう年上。あるいは祖父母と同じくらいの年齢の顔馴染みかもしれない。お酒という飲み物を通じて、そのような新たな世界に出会うことができるのは実に価値がある。
 その意味で、京都に住まう人にとって、とりわけ学生にとっての「人間交差点」であるDEN-ENのような場所があったことは間違い無く「財産」であった。

 大手の居酒屋に行って、気のおけない仲間と飲む酒はそれはそれで良い。しかし、それよりもはるかに面倒臭い、しかしオモチロイ人間関係は酒場でなければ経験できないからである。社会がコロナウィルスの蔓延で失ったものは多いだろうが、最も大きな損失の一つはコミュニティでもあるような酒場が消え去ってきまったことなのかもしれない。

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