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チャガタイ中野
2020年9月24日 15:35
連続岐路エッセイその① 一九九四年、当時十九歳だった私は大学進学のために長崎を出た。将来に対する目標など、何も持たない無気力な若者だった私は、ただ「このまま働きたくない」という、とても後ろ向きな理由で進学を志していた。大学選びも「演劇サークルがあるところ」という、学問とは何ら関係のない部分を重視していた。そしてとにかく実家を、長崎を出たかった。 なぜ演劇サークルなのか? 何も打ち込むもの
2020年9月25日 09:51
連続岐路エッセイその② 演劇をやりたいと言いながら具体的なイメージがまったくなかった私は、大学の演劇研究会に入って、その本気度にまず驚かされた。生っちょろい部活動などではなく、それはほとんど劇団であった。会場は外部のホールを借りる、照明は自分たちで回路図を書いて吊りこんでいく、舞台装置や小道具、衣装などももちろん自分たちの手作りで、搬入から舞台の設営までには二、三日の期間を要する。そしてチラシ