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新年の抱負

こいつとは絶対離婚してやる。

正月休みの間にこのフレーズが頭に浮かぶ人、結構いるんじゃないだろうか。
かくいう私も三回ぐらい浮かんだ。年に数回浮かぶ言葉ではあるが、正月休みは回数が激増する。

そもそも、正月は家族間で揉め事が起きやすい。
あの忙しなさがそうさせるのか。時間の制約をとっぱらった、のべつ幕無しの飲食で理性のタガが外れるのか。浮かれムードの世間とは裏腹に、実は結構家に縛られがちなお正月の過ごし方のギャップに焦りを感じるのか。はたまたその全部か。なんにせよめでたいムードとともに、諍いの影もしっかりとやってくる。

お正月はめでたい。
それは間違いないのだが、しっかりとしたお金持ちでもない限り、お正月を楽しむには誰かの努力と労力が必要になる。いや、本当は「誰か」ではダメなのだ。諍いの影を引き連れてくるお正月に立ち向かうためには家族全員で立ち向かわなければいけない。それがどうしてか「誰か」一人の肩にのしかかった時、時限爆弾のスイッチは押される。

今年の正月、私はインフルエンザとの闘い真っ只中にいた。
クリスマスの終わりと同時に息子が持ち込んだインフルエンザにやられてしまい、年末年始をすべて黄色い鼻水をかむことに費やしていた。
毎年年末年始は夫の実家に帰省すると決まっているのにできなくなってしまった。夫の父は山陰で一人暮らしだ。山陰の暗い空が浮かぶ。町は賑やかなのに義父は一人で年越し…。寒かろう、淋しかろう…と申し訳ないやら自分の体の弱さが腹立たしいやらでやるせない気持ちになってくる。
熱は一日で下がったものの、体が受けたダメージは大きかったようでだるさが消えない。それでもできるだけ普通に過ごしたかった。お正月らしいことは準備もしていないし(帰省予定だったので)何もできないけれど、せめてきれいな部屋でキリッとした空気の中お正月を迎えたい。
夫が子供たちを連れてどこかへ出かけたのを見計らって、窓という窓を開け換気しながら部屋の掃除をする。大掃除ではない。いつもの毎日の掃除だ。でもそれだけで息が上がる。体がだるくて思うように動かない。
なんとか全ての掃除が終わった。トイレも洗面所も掃除した。ついでに風呂掃除もした。これですぐにお風呂を沸かすことができる。みんなが帰ってきたらすぐに温かい風呂に入れる。
明らかにきれいになった部屋。整然としている部屋。よどんでいた空気がピシッと澄んだ部屋。やれることはやった。満足して私はねぐらへ引き上げる。
家族が帰宅した。

誰も何も言わない。

いや、まあ、別に何かを期待していたわけではない。
綺麗になった部屋を見て「うわああああ!」なんていう反応を期待していたわけではない。家族が涙を浮かべながら隔離部屋にやってきて「おかあさん、ありがとう!」みたいな言葉を斉唱するのを夢見ていたわけではない。
ないけれど、彼らはどやどやあっと帰ってきて、わあわあと食事を摂り、風呂が掃除されていることに驚くこともなく湯を沸かして風呂に入った。
その間にありがとうの言葉もなければ、「お腹空いてる?何か食べられそう?」とか「お風呂みんな入ったし、入れそうなら入りなよ」とかそういうのもなかった。私は空気だった。年末うきうきモードでは見えなくなってしまう存在だった。
少し淋しかったけれど、大事なお正月を私のせいで例年通りに過ごせない申し訳なさと体のだるさが淋しさを上回り、ただただ自分が悪いんだからこれぐらいの奉仕は当然だと思って横になっていた。
子供達に付き合ってくれている夫にも感謝していたし、帰省していつもと違う環境で遊ぶことを楽しみにしていた子供たちが、文句も言わず過ごしてくれていることにも感謝していた。感謝しかなかった。

家族が外出した隙に部屋の掃除をするという「家の妖精が勝手にお掃除してくれているふう掃除」は、その後三日続いた。そして三日目に私は大爆発した。

徐々に体も楽になりつつあり、皆のいるリビングに顔を出す回数も増えてきて見えない存在からまた徐々に家族の一員として復帰しようとしていた。
その日もまた子供達と夫が外遊びに出た時に掃除を始めた。だいぶ良くなったというのにまだまだ体はしんどい。インフルエンザ輸入業者の息子なんか高熱が出ていても「牛丼に生卵乗せたやつが食べたい」などと言って完食し、その翌日にはもう普段通りに生活していたというのに…。アラフォーの運動習慣のない体には非常に堪えた。
家族が帰ってきた。この後私の実家へ挨拶だけ行くので早めに切り上げてきたのだろう。大方の掃除は終わっているが、洗濯物を畳んだりなんやかんやすることが残っている。家族は動き回る私を尻目に、YouTubeを見たり携帯ゲームで遊んだりとお気楽そうだ。誰一人「手伝おうか?」と声をかける者はいない。体がしんどい。体に力が入らない。なんで?・・・あれ?私最後にご飯食べたのいつだっけ?昨日の夜の焼きそば一口…か??なんで私は何も食べてないの?何で誰も私の食事は気にしてくれないの?なんで自分たちの食べたいものだけ買ってきて私の食べるものは何もないの?なんで誰も何も声をかけてくれないの?私が見えないの?私は何も食べずに掃除するだけのロボットって思ってるの?なんで?

三日前は感謝しかなかったはずの胸の内が、今日は憎悪と腹立たしさでいっぱいだった。いつもはイラっとすることはあっても、それをぶつけるだけの資格が自分にはあるか?と思い直すことができる。私が掃除をめんどくせぇと思いながらやってる間、夫はもっとめんどくさい子供達の相手をしてくれている。いちいち言わなくても分担して家庭生活を回している。いちいちお礼も言わない。だってそれが生活だから。いちいち相手がしてくれることを気にも留めない。いつもならそれでうまくやっていける。
でも今は「いつも」じゃない。
「お正月」で「インフルエンザ」だ。
なんの労いも、なんの救いも与えてもらえないのか?
どうして一言「ありがとう」って言えない?「何か手伝う?」「こっちはやっとくよ」「無理せずゆっくりしよう」「部屋が汚くても死なないよ」なんでもよかった。ただ、私の働きを、いや「私」を認めてほしかった。労わってほしかった。

大爆発した約3分は地獄の空間だった。夫は不服そうな顔をしていた。言いたいことはわかるが、自分だって休みを全部子供に奪われて不自由な生活をしていたのにという苛立ちを滲ませていた。とりあえず謝るが納得・反省していないのがアリアリとわかる。5年生の息子は一番ショックを受けていたかもしれない。親の労力を搾取する一方で自分が何一つ手伝いをしていないことに自覚があったのだろう。そりゃ怒るよな…という、やっちまった感を漂わせていた。1年生の娘は下の子パワーを存分に発揮し、男チームがしばらく私に話しかけられずにいる間も「おかあさんしんどくない?」「しんどかったらすぐ言ってね」「おかあさん大丈夫?」と労わりを大放出させていた。これをやられてしまうと爆発した人の悪者感というか独裁者感が際立ってきて気まずい。違う、そういうことじゃない!と言いたくなるが、娘はまだ幼く、お母さんはしんどかったんだなと理解したからこその発言だと思うから、ここはぐっと我慢だ。
ため込んでいたことを爆発させたらスッキリしたかというとそういうわけでもない。
できるだけ冷静に、罵るような言葉を使わず、でも言いたいことはきちんと伝えようと、走り出しそうな気持と言葉を抑えて落ち着いて発言したつもりだ。それでも(言い過ぎただろうか…これはただの我儘だろうか…)と暫く悶々とした。母がよく「あんなこと言わんかったらよかった…という後悔より、もっとあんな風に言ってやればよかった!という後悔の方がマシだから」と言っていたのを思い出しながら、実家に新年の挨拶に向かうべく車に乗っていた。
家の外に出て、家族以外の人と会い、話し、町ゆく人を見て、自分の中でいっぱいになっていた家族の濃度を下げる。濃度が下がると冷静になり、どうでもよくなってくる。一晩眠れば体も一段快方へ向かう。体が楽になれば思考も穏やかになる。こうして大波は凪に戻り、まあいっか、と通常運行のレールにもどっていく。離婚なんて言葉もいつの間にか消え去ってしまった。

「離婚してやる」と思うたびに、もう本当に今回ばかりは無理だと思う。でもいつの間にか「はて、そんなこと思っていましたかね?」という風にケロッとする。これを繰り返しながら20年、30年と過ごすのだろうか。もし子供がいなければもっと仲良くすごしていたのかな?などと考えてみたりもするのだが、子供がいなければもうすでに離婚してしまっているかもしれない。ま、どっちにしても考えるだけ無駄なことだ。
そうしてまた忘れた頃に大爆発し「もう無理!!!」と騒ぐのだろう。

とりあえずは正月気分で無駄なものを買わず、いつ離婚となっても大丈夫なようにしっかりお金を貯めておこうと思う。


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