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「生きる理由って」

「明日死ねたら楽なのにと夢見ていた。なのに最期の最期になって、もう少し生きてみてもよかったと思っている」

これは、私が最近読んだ本の中で出逢った言葉。

もしもあと1ヶ月で死ぬ事がわかっていたとしたら。

それでも私たちはきっと、全力で1ヶ月分の食料をかき集める。

物を盗んででも、他人を殺してでも最期の最期まで必死に生きようとする。

どうせもう少しで死ぬことに変わりないなら

必死で生きようとしても無駄なのに。

いずれ全て失ってしまうのに。

なんでだろうね。よく考えたら不思議だよね。

明日死ねたら楽なのにって、誰もが思ったことあるはずなのに

死が近づくにつれて、生きることへの執着心は大きくなっていく。

どれだけ自分の人生に満足していなかったとしても

小さな幸せを、生きる理由を探し求めて

最期に「生きててよかった」と思うための努力をする。

世の中には、余儀なく自殺をされて亡くなる方もたくさんいるけれど

心の奥底では生きたいって思ってたんだろうな。

彼らは助けを求めていただけで

生きる理由を見失ってしまっただけで

本当に死にたい人はいない。

本当に死にたくて死んだ人は、死ぬ前に一瞬たりとも悩まなかったはずなんだよ。

生きようか死のうか、迷う瞬間なんてなかったはずなんだよ。

「〇歳くらいで死にたい」とか、「あと〇年後には死んでもいい」とか

若い人ほど口にする。

そして、そういう人ほど

「年寄りはさっさと死ね」とか簡単に言う。

けどいずれは、そう言っていた若者たちも

歳をとると気づくんだろうな。

死が近づくにつれて、生きることへの執着心が強まっていくということに。

私もまだ20歳だけど

自分がいつか死ぬかもしれないなんて、正直半分信じていない。

考えられない。想像できない。

でも、死の瞬間なんて人それぞれで

いつ訪れるかわからない。

みんながみんな、おじいちゃんおばあちゃんになれるわけじゃない。

だからこそ、今を大切にしたいよね。

今を全力で生きたい。いつ死んでも後悔しないように。

「生きることへの執着心は、死が近づくごとに増していく」

今は実感できないかもしれないけど

生きる理由なんて見つからないかもしれないけど

死ぬ事が分かった瞬間、私たちは必死に生きる理由を探し始める。

そして、それは必ず見つかる。必ずどこかにある。

どんな些細なことだったとしても

こんな最期を迎えられたら幸せだなって理想は

誰にだってある。

その瞬間のために、もうちょっと生きてたいね。

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