7年勤めた会社を辞め、実家を継ぐことにした

目的を達成するなら手段を選ばないことは、私の誇れることの一つだと思います。

向いてないとわかりつつ、期待してもらって沢山の案件を任せてくれていた会社、2024年の3月末に辞めました。

理由は実家を継ぐためです。

もともと、この会社に入ろうと考えた理由も実家を継ぐためでした。
当時から興味を持っていた地域のデザインを実践的に取り組んでいる会社だと感じました。ただ、新卒は募集しておらず、完全に門を叩く形で応募しました。

就活では、マイナビ、リクナビで探したり、興味を持った食品関係の会社しか受けていなかった私が、唯一道場破りで受けたのがやめた会社の部署(今は会社として独立している)でした。


印象は、
ウエルカム感ゼロ。

面接には5分くらい遅れて若い部長がきてくれたパーマのチャラい人だった(前職の社長)

まずは言われたことは
「彼氏いんの」
「います」
「別れるよ 忙しいから」
※当時付き合っていた彼氏とは、わたしの地元のことを消滅自治体と言ったことにむかついて別れましたが、その後、地元紙の彼の旅エッセイ連載でわたしの別れ話のことも書かれました。本当にそういうところだよね。

そのあとつらつらと、

地域のデザインのしんどさ。

お金がない。

事業者さんのやる気もない。

行政もわかってない。


と言うことをめちゃくちゃ伝えられました。
こんなこと言われたこともないし、誰も教えてくれなかったということと、

なぜ、私はいま、
こんなことを言われてるんだ…
と半泣きになり、早く帰りたい…と思いながら話を聞きました。


でも、このときにうっすら思い出したことは、
東北地方のパッケージデザインコンペで、県知事賞をもらって商品化した際の会見で、町長から何も歓迎されていなかった時の無力感と、
大学三年〜四年生の時に同時進行で活動してた地域のデザインのこと。
心の奥では役に立てなかったんだよな
喜んでもらえていなかったなあ、
と…

何一つ、私ができてないのだと強く事実をぶつけられたように感じました。
とにかく地域のために何かしたいと方向性を違えて迷走していた就活にも、メスをいれられたような気持ちでした。


全て話が終わった帰りに「うちの料理食べてって」とランチを奢ってくれました。

ランチを食べながら、

部長の言葉を反芻して思ったのは、
「あの人、すごいひどいことを言っていたような気がしたが、全部事実だし、そんなことを言ってくれる人は今までいなかったな あの人、とてもいい人なのだろう」
と思い、興味が湧きました。

どうしても忘れられず興味があったから、性懲りも無く連絡をいれてみた、多分2回くらいメールした。
めちゃくちゃな就活生だったと思う。
しかも「5年でやめて実家を継ぎます」との堂々たる発言をして、よく入れてくれたなと思う。

会社が渋々折れてくれて入社し、そこからは怒涛の日々だった。
大学で学んだことは何も生かせない、
広告の作法も言葉遣いもわからない、
そもそも制作スピードが追いつかない、
どんな仕事でもやる無茶苦茶感、
会社の内部が無茶苦茶(とても言えないくらい)。

あまりのスピード感、内容、部長と先輩の才能、厳しさ…かなりきつかったです

年齢が一個上の同期が病んでしまって退社したこと、
これもひとつの機会になったと思います。

同期のほうが社会人としては2年先輩だったので、即戦力として制作自体は早かったけど、仕事を続けることができなかった。
私は続けたいと思っていた。
何が違うかと言うと、同期と私は働く目的が違ったんだと思います。

同期はデザインが好きで仕事したかった、家が近かった。
私の場合は、移住してまで、その町が好きで将来やりたいことにつながると思うからやっていた、
この差だったと思う。

私は当時何もできない無力感が辛かったですが、辞めたいとは思いませんでした。

上司と先輩の仕事は、納得できるものばかりでした。どの仕事をみても尊敬できる、この環境に身を置けたことが私のモチベーションで、興味関心がなければ、すぐ辞めていたと思います

2021年には、部署が独立してそのまま新会社になりました。
わたしはWeb制作、ウェブマーケ、動画まわりをメインで色々と担当することになりました。

私、その新しく始めたウェブマーケがまあーー苦手で、人生で1番しんどかった時期だと思います。

ですが、たくさんの地域の仕事をさせていただき、
お客様に直接的な成果の出たものも多くあり、非常に嬉しい期間でもありました。

特に、提案書、企画書を書くことが本当に苦手で辛かった。2023年の5月頃からが、特に辛かった。。

いまも荒いし、うまくかけないですが、必死の渦中ではわからなかったけど、気づいた頃には、ちょっとずつかけるようになっていたと思います。

私は死ぬほどマルチタスクが苦手だったけど、周りの力を借りて成果を出すことができたことは一生忘れられないです。
自分1人ではできないと思いました。

小さい会社ですが、地域のオンリーワンを目指して、県内でかなり熱量がある会社なんじゃないかなと思ってます
今後の発展も祈っております…





会社ではなんで?どうして?をすごく問われました。

デザインは全てに意味がある
デザインの意味は色や形のほか問題解決のためのエッセンス、企画など全てのことを指す
キャッチコピー一つで変わる
言葉尻一つで変わる
写真一つで変わる

身をもって実感をしました。



単に制作だけでなく変わったことは、
思い返せば、
すごく内気な私の性格は、この会社に入ってから少しマシになったような気がする(少なくともコミュニケーションへの恐れみたいなのは無くなった)
大学の時の私よりはまだ社交的になったかもしれない(最近また内気に磨きがかかってきたが、、、)

社長と先輩には特によくしていただいた。
本当に尊敬ができて、クライアントに対しても愛情のある2人だった。


大変お世話になった会社を辞めました。

この記事を投稿するのは迷いましたが、
辞めてから4ヶ月が経って、思い返してお世話になったな、と感じたので、昇華するために投稿しました。

新卒にも関わらず入社させてくれて、実家のことまで本気で考えてくれた、あり得ないほどのおせっかいな性格の社長でした。

ありがとうございました🙇‍♀️



実家の仕事、かける範囲でやってきた仕事についても、またのんびり書きます✏️

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