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唐の都,長安へようこそ6 巨大なショッピングモール西市とは?


長安城
長安城

 ※長安の大枠を紹介してきましたので,次には宮殿の概要を知りたいと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし私としては庶民の生活に興味があるので,今回は西市を紹介したいと思います。
 長安には「東市」と「西市」という巨大なショッピングタウンがありました。ちなみに中国語を勉強している方なら皆知っていることですが,中国語で「物」のことを「東西(トンシ)」と言います。したがって買い物をするは「買東西」です。もうおわかりでしょう。この「東西」の語源は,「東市」と「西市」から来ていると言われています。この東西両市は,「坊」2つ分の広さの中に,それぞれ220余種類(行),各種類(行)には300余りの商店が建ち並んでいたといいます。東市がある万年県は,皇城や宮城,大明宮へ行くにも便利だったので,官吏の邸宅が多く,そのため東市は比較的高級品を売る店が多く,それに比べると西市は庶民的な品物を売る店が多かったそうです。そこで西域からの商品や駱駝の隊商達が闊歩する,その約1400年前の賑わいを,ちょっと覗いてみませんか?

西市
西市


胡商
胡商


胡商
胡商

西市の遺跡を発掘したところ,西市は平面が長方形をしており,南北が1031m,東西が927mである。市の北,東両面に突き固めた坊壁の基礎が残っており,壁の厚さはいずれも4mほどである。市内には南北方向と東西方向に2本の平行した道路があり,幅は16m,4本の道路が交差して「井」の字の形になっている。南北方向の2本の道の距離は309mであり,東西方向の2本の道は327mである。道の両側には排水溝がある。4面ある市の門はすでに破壊されている。東街の幅が117m,南街の幅が120m,北街(金光門大街)の幅が120mであり,市内は9つの長方形に区切られていて,各長方形の4面が全て道路に面している。当時の店舗は各長方形の周囲に設けられていた。建物の遺跡は南側の一部に残っているが,最も長いものでも10mに達していない。
 西市からは大量の出土品が発見されている。骨で作った装飾品(櫛・簪・笄・花模様を彫刻した物),ガラス玉,真珠,瑪瑙,水晶などの装飾品,少量の金の装飾品,大量の賽子などである。おそらく近くに宝飾店があったものと思われる。

西市地図
西市地図


晩唐排水溝の遺跡
晩唐排水溝の遺跡

  ※西市は,正午に300回太鼓を打ち鳴らして営業を開始し,日の入り前7刻に300回鉦を打ち鳴らして営業を終了しました。

  次南西市
  次に(礼泉坊の)南は西市。

 隋代は利人市と言った。

  南北尽両坊之地,市内有西市局。
  南北2つの坊を合わせており,市内には西市局がある。
  (大府寺の管轄)

 市内の店舗は東市の制度と同じだが,長安県には4万余戸の住居があって,万年県よりも多いので,数え切れないほどの流浪の民がいた。

  市署。
  平准局。

 市署と平准局がある。

  ※市署の機能は,
   1.建設 2.物価の管理 3.交易時間の管理 4.品質の管理 5.度量衡の管理 6.違法交易の取り締まり 7.奴婢および牛馬の交易の管理 8.市場の治安の管理
市署によって,定期的に品質の検査,重量に虚偽がないかを検査し,合格したものだけが交易を許可されました。
 また露店などは官衙から30m以上,民家からは1.5m以上距離を取る必要があり,違反したり通行の邪魔をしたりすれば,撤去されました。
  ※平准署の機能は,
 1.物価の操作。高い物は売りに出し,安い物は買い上げて,物価が安定するようにしました。2.官庁が没収した物を販売。
  ※また西市には常平倉があり,糧食を貯蔵するとともに,その出し入れで糧食の価格を安定させました。

常平倉
常平倉

  放生池
 永安渠の支流が流れていたので,僧侶の法成がそこから法生池を造り,そのそばに仏堂を建てた。

  独柳
 柳の木があり,そこが刑場になっていた。

  ※その他,西市には数々の商店がありました。

 秤行(行とは同業者が集まった集団),鞧轡行(馬具店の集団),麩行,筆行,肉行,魚行,金銀行,鉄行,油靛(染め物屋)行,法燭(灯燭)行,衣肆(衣服店),薬材肆,帛肆,錦綉彩帛店,胡琴店,竇家店(一代で財を築いた竇義の店),張家楼(飲食店),煎餅子店,寄付鋪(委託販売店),波斯邸(ペルシャ邸),売飲子家(冷服するための煎じ薬を売る店),酒肆,卜者李老居(占い師李老の家),飯鋪,売薬者,凶肆(葬儀屋),胡商,櫃坊(銀行)
 
  ※記録から確認できるだけでもこれだけ多彩ですし,1600年前すでに銀行や委託販売があったということからも,当時の繁栄が偲ばれようというものです。また葬儀屋があったというのも,考えてみれば当然なのですが,驚かされます。その凶肆については,機会があれば,また紹介したいと思います。                                    
                       出典:増訂唐両京城坊考
                        三秦出版社(中国)
                                           

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