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唐の都,長安へようこそ2            啓夏門,安化門,通化門篇

 明徳門のほかに,長安城の東南西三面には,他に8つの城門があり,各城門の門道は3本である。5つの門道があるのは明徳門のみであり,それは明徳門が長安城の正門だからである。発掘により出土した大量のレンガや瓦,彩色瓦などから,明徳門には門楼があったという歴史的文献の記載が証明されている。

 東啓夏門
 啓夏門在南之東。

 啓夏門は明徳門の東にある,明徳門から1550mの距離にあり,東西35m,南北15mで,面積は525㎡であり,3つの門道がある。

 西安化門

 明徳門の西は安化門であり,明徳門から1360mの場所にある。東西42.5m,南北10m,面積は425㎡である。幅7.2mの門洞が3つある。

 
    城の東側には三門あり,その一番北側が通化門である。

 通化門の東方7里の長楽坡には長楽駅があり,そのふもとは滻水という河に面している。至徳2年,通化門は達礼門と呼称を改められた。裴度,李吉甫,李光顔らが駐屯地へ出立したときには,天子は皆この門から見送った。李義琰が退官して東都洛陽に帰るときには,公卿たちがこの門の外で餞をした。

 上都通化門には長店があり,その多くに車工があり,車轅(車の長柄)や車輻(車のスポーク)や車轂(車のこしき)などは皆定価があった。

 ※長楽駅は長安城を出て,東の一番目の駅である。当時の1里は約530mなので,東方7里ということは,約3.7kmの距離である。人々はここで柳の枝を手折って渡し,旅立つ家族や友人たちを見送ったり,帰ってきた人を出迎えたりした。天宝13年(754年)には,安禄山が長安を出発するとき,高力士が長楽坡で見送ったという。また著名な詩人白居易が,長楽坡での別れの悲しみを歌った詩がある。
                   出典:『増訂唐両京城坊考』
                      三秦出版社(中国)

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