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2020年にもなって「UXを恋愛に例える」といった恥ずかしい説明は止め、UXを自分の言葉で説明しましょうという話

まえがき

人間中心デザイン(HCD)やUXデザインといった業界の片隅に足を突っ込んで10年が経とうとしているが、当初より1〜2年に1回ほどの頻度で出回るのが「UXは恋愛に似ている」とか「UXを恋愛に例える」とかいった言説である。

ハッキリ言うと、UXと恋愛の類似性や関連性を指摘するのはナンセンスであり、当人のUX周辺の理解に何ら寄与しないどころか害悪であるとすら思っている。以下にその理由を挙げる。


理由①恋愛している人は「彼氏」や「彼女」や「パートナー」であって、ユーザー(利用者)ではない。(生活者ではある)

恋愛をしている当事者らは、ユーザー(利用者)ではない。100歩譲ってもLoverである。その点でUser eXperienceが主に対象としているような、システムの利用者ではないため、理解が歪んでしまう可能性がある。
ここには、サーファーをサーフボード利用者、カメラマンをカメラ利用者として捉えてしまうような傲慢さ(あるいは無理解か理解の浅さ)も潜んでいると考えられる。

理由②(ユーザー)経験は、恋愛(経験)である、という経験から経験への言い換えをしているだけであって、何か言ってるようで何も言っていない。

→おそらく、イメージしやすいように卑近な例で言い換えているつもりではあると思うのだが、実はある経験を別の経験で言い換えているだけで、メタファでもなく、個別性の高い内容であるため、矛盾が生じやすい。例えるなら、駐輪場の説明を駐車場のようなものだ、と言い換えているだけであって、何ら理解の深まりが期待できないのではないか。
ここには、単なる説明の不得手があると考えられる。

理由③UIを恋愛相手の身体的特徴や環境、UXを恋愛相手の行為の結果である、などという説明がなされてしまう

→UX=ユーザー体験(100歩譲って恋愛における当事者の主観)と、UIが一要素である製品・サービス(100歩譲って恋愛における相手の有形・無形の特性)は全く違うという話なのに、一緒のものとして語られてしまっている

安藤昌也教授の説明には、デザイン対象領域として「ユーザー」と「製品・サービス」と「ユーザーと製品との関わり」があるとされている。つまり、ユーザーと製品・サービスは別ものである。
https://www.slideshare.net/masaya0730/ux-63230297/5

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それに対して、UX周辺を恋愛に例えた場合に、UIは顔の美醜、UXはダメ人間であること、などと説明されてしまう。これには異を唱えたい。ダメ人間はある種の製品・サービスの提供機能不備であり、それを見てしまったがゆえに得られる体験がUXである。という説明はかなり分かりにくい。
ここには、UXという分からないことに対して、恋愛という分かりにくいものに例えてしまったことのマズさが一つある。さらに、UXに対する明確な誤解を生む可能性・余地が残っており、うまい説明とはいえない。

補足

UXをわかりやすく説明できてないのは、この業界にいる者として責任はあるとしても、だからといって、分かりにくい説明を是としていいわけではない。

以上では単に文句を言ってるだけなので、改善案を出して終わりたい。

どんな説明ならよいのか:①UXとUIを並列で説明しない

まず、UIとUXで語るのをやめたい。「U」がつくというだけであり、説明の軸となるような対比できる事物ではない。
あえて説明するとすれば、製品・サービスをインタフェースを介さずに触れるというのは難しいため、製品・サービスをつくる上で、ユーザー(利用者)に寄与することを考えるために、UIという概念が必要なことがある。その場合は、ユーザビリティなど多数の品質特性があり、それらのいずれかが評価軸として適切になると思われる。一例として、黒須正明氏が整理している図を挙げる。

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どんな説明ならよいのか:②創意工夫の例としてUXではなくUXデザインとして語る

先に挙げた安藤氏の図にある通り、UXとUXデザインは異なる。拙い言葉で補足すれば、UXは現象であり、UXデザインは設計者の行為だ。
どうしてもUXに関連して、恋愛をメタファとして説明したいのであれば、UXではなくUXデザインという設計者の行為を「ユーザー視点を捉えて分析し、創意工夫をする総体的な取り組み」と捉えて、それを恋愛に適用する、という説明であれば、まだよいのではないだろうか。

おわりに

そもそも、UXあるいは恋愛のどちらかを貶めているような表現で、私は好かない。個人的な印象としては、シモネタで盛り上がるようなノリに近いと考えている。でも、おそらくそれは誤解だろうと思いたい。なのでこの記事を書いている。

恋愛は楽しいばかりではない。個人的な経験で言えば、シングルファザーにならざるを得なかった自分は、ある程度のダメな点があってそうなったと考えられる。努力が足りなかったのであろう。
だからこそ、恋愛には多様性を持った解釈をしたい。子どもが欲しいと願う人もいれば、その覚悟がない人だっている。遊びとして楽しみたい人もいれば、真剣な人もいる。異性愛に限らない何かもあるかもしれないし、世間的には認められないペドフィリアなどもあるかもしれない。一言で恋愛と言っても、かなりの幅があり、人によっては認められないものもあるだろう。そういった複雑な概念を、背景を無視して説明の変数として語ってよいのだろうか。

私は、その人の言葉や考え方を規定してしまうような言動はできるだけ避けるべきと考えている。それだけである。そのためには、UXを他者の言葉(ここで言う恋愛)に合わせるのではなく、まずはズレててもいいから自分の言葉で語ってみて、それを議論することが第一歩だと考えている。それをUXポリスとか宗教論争とか、単に言い方・態度の問題に矮小化するのは、いかがなものかと思ている。

追記(2020.05.31)

何か誤解を招くかもしれないが、変にヘイトを溜めるような、あるいは、勘違いを助長するような言い方でなければ、完璧な言説・主張じゃなくてもいいと思っているし。そうしなければ、議論は生まれない。
なので、上記の私の主張も、間違ってるのではないかという視点で読んでコメントいただければ、そんなに嬉しいことはない。

だけど、議論はその対象(この場合UX)についてよく知っている人でやればよく、よく知らない人向けに未検証の言説・主張(仮説と言い換えてもいいかもしれない)をぶつけることは、私はあってはならない、と思って書いた。
繰り返しになるが、その私の考えすら間違いであれば、全然受け入れる気持ちで書いている。

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