スクーデリアエレクトロが揺らした箱 ~歌舞伎町にリキッドルームがあった時代~
歌舞伎町という街に対して、あまり良い印象をいだいてはいなかった。そこで暮らす人や、そこで働く人たちを蔑視していたわけではない。喧騒が苦手なのだ。できるだけ家のなかにいて、コツコツと文章を書いたり、小さな音で楽器を弾いたりしていたい。そのくせ気が向くと、ヘッドホンを使いロックンロールを聴いたりするわけだから、相当に身勝手な人間だ。昔も今も。
滅多なことでライブにはでかけない。時間と場所を共有することでしか得られない感動があるのは分かっている。ただ、どうしようもなく人混みが嫌いなのだ。そういう僕が、他ならぬ歌舞伎町にあるライブハウスを目指して(そこで催される爆音のライブを聴くことを目的に)歩いた、例外的な夜がある。もう20年以上も昔のことだ。当時、知り合ったばかりの女の子に、スクーデリアエレクトロのライブに行こうよと声をかけてもらった。
目的地へ向かう僕に「寄ってかない?」と声をかける客引きがいた。いやしくも俺は今、女の子と歩いてるんだぞ、何を考えているんだ、この人は? 当時は血の気が多かったので、だいぶ腹が立ったけど、今にして思えば、その人にはその人の仕事があったわけである。歌舞伎町にもライブハウスにも客引きにも、まったく非はない。問題は僕の側にある(あった)。
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それまでに僕が参加したことがあったのは、たしかミスターチルドレンのライブだけだった。もちろん立って聴いたけど、ひとりずつに席の与えられる、言うなればジェントルな催しだった。オールスタンディングの、緊張感が漂うライブハウスに行くのは初めての経験だった。だから僕にとって、スクーデリアエレクトロの楽曲そのものよりも、そこで感じた空気が印象深かった。したがって本レポートは、音楽評論ではなく「リキッドルームの思い出」というようなものになってしまうかもしれない。
リキッドルームは、ミスターチルドレンがライブを行うような会場に比べれば、小さな箱だった。でも、それゆえに、観客のいだいている「これからすごいことが始まるんだ」という期待感が、充満しているように感じられた。彼女は飲みものを買い、スクーデリアエレクトロのグッズを吟味していた。本来的には穏やかな女性が、大好きなミュージシャンが音を奏でるのを待ちながら、緊張と興奮をまとっていく。そんな様を、ぼんやりと見つめていた。会場を埋め尽くす千人くらいの客は、時折、笑ったりしながらも、各々の緊張を漂わせているように映った。
やがて爆音が鳴り響き、石田氏らが姿を現した。不思議な編成だった。ギターを抱える石田氏は、フロントマンらしいフロントマンに思えたけど、彼の隣にいる人は、ピアニカのような楽器を持っていた。機材に囲まれるように座る、古典的なピアニストとは呼び難い、不思議なキーボード奏者もいた。彼ら彼女らが1曲目を奏ではじめると、リキッドルームは揺れた。誇張抜きに揺れた。僕の左にいた青年は、うっとりと笑いながら体を揺らし、右にいた彼女は、一音をも聞き逃すまいというような引き締まった表情で、やはり体を揺らしていた。スクーデリアエレクトロが奏でる音と、それを聴く観客が、文字通り一体となって、その小さな箱を揺さぶっていた。
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石田氏はMCで語った(当時、一言一句までを書き留めたわけではないので、いま細部までを再現することはできない)。音楽で世界を変えることはできないと個人的には考えていると。それでも何とか頑張っていこうよという思いを込めて演奏すると。面白おかしいことを語ったり、サポートメンバーのベーシストを(優しく)からかってみたりもしたからこそ、そうやって石田氏が大真面目に語った瞬間は、僕の心に残った。当時は決して、平和な時代ではなかった(平和な時代などというものが歴史上にあるのか分からないけど、9.11の惨劇から間もないころのことだった)。たしかに音楽は、その時に奏でられたスクーデリアエレクトロの楽曲は、世界を変えまではしなかったと思う。それでも箱を揺さぶり、束の間、平和を願う気持ちで箱を満たしはした。
こうやって僕が色々なことを記憶できているのは、観客席の空気や石田氏の言葉を鮮明に覚えていられるのは、当時の僕がスクーデリアエレクトロの「にわかファン」だったからだと思う。そしてライブハウスというものを、本来的には好まない人間だったからだとも思う。僕は鑑賞していたというより「観察」していたのかもしれない、その場を。石田氏には不快なことかもしれないし、誘ってくれた女の子に失礼なことかもしれない。それでも僕は覚えているのだ、平和とはいえない地球の一隅で、健全な欲望に満ちた歌舞伎町の一角で、石田氏が平和を願い、それに呼応するように観客が体を揺らしていたことを。
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会場から外に出るために、彼女と僕はあまり言葉を交わさず、ゆっくりと階段をおりた。エレベーターを使わなかった理由までは覚えていない。黙々と階段をおりた。それぞれに受け取った感懐があり、今は語らう時ではなかった。それでも互いが別種の感懐を得たことを、たぶん僕たちは分かり合っていた。それは気まずい沈黙ではなく、爆音を聴いたあとに残された、尊い静寂だった。そういったものを観客に噛みしめさせるために、リキッドルームが階段を使わせてくれたのだろうと言ったら、いくらなんでも極論だろうか。
のちにリキッドリームは移転し、スクーデリアエレクトロの魅力を教えてくれた女の子が、いま何をして生きているのかを僕は知らない。僕は少年期を過ぎ、青春を終え、青年期も通り過ぎた。そういう意味では「夏」は終わった。それでも石田氏は、今なおプロデュースワークなどをつづけているようであり、そうした活動には恐らく、平和への思いが込められているはずだ。石田氏は今でも、どこかの箱を揺らしているわけだ。
<<誰もが見失ってしまう 少年の夏の煌めきを>>
それは受け入れるしかない事実なのだとしても、かつて自分が少年だったことを、僕は忘れていない。少年であったがゆえに愚かだったことや、だからこそ感じられたことや観察できたものを、今でも忘れていない。そして今、どこで生きているかも分からない彼女が、かつて少女であったという事実を、あの夜に奏でられた音を聞き逃さない集中力を持っていたことを、できれば忘れないでいてほしい。
ありがとう。
※《》内はスクーデリアエレクトロ「太陽道路」の歌詞より引用