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何で日本の美意識を考えるようになったか

そもそも、何故、日本の美意識について考えるようになったのか
中国茶なのに、日本のことって、どういう繋がり?ということで、少し、こちらに記します

数年前出版した『二十四節気の中国茶席のしつらえ』という本で、特に、日本的な茶席 というのを考えていました。
そこで、改めて、日本的って、何だ?と考えたのですが、ぼんやりとしか分からない。
本の中でも、日本の美意識について書きましたが、はっきり言って、自分でも何のことだか、さっぱりわかってない状態で、締め切りに追われてもいたので、ひどい内容しか書いてない。ものでした。
当時は、そんなの読む人いないだろうし、それでいっか。と思っていました。
その後、テーブルウェアフェスで、思わぬ賞金をいただき、通信の大学へ通うことにしました。通信ということで、正直、かなりナメてた。しかも、芸術学を選びましたが、私は美学美術史学科というのを卒業してたので、基礎知識はある。つもりでいましたが、甘すぎました。笑
入学する時、卒業研究として、やりたいことが決まっていれば、記すようにあり、出版の時に少し調べた、「日本の美意識」についてなら、ちょっと調べてあるし、文字数もイケる!楽勝!と、ナメ腐って、提出しました。
そして、入学。レポート地獄に苦しみ、知識の無さに苦しみ、留年
初年度から、早くも卒業研究の振り分けなどがありましたが、芸術学だと、だいたい皆さん、西洋美か東洋美か、特定の作品なり作家なりの研究なのに、私は思想的な方面だったので、卒研ゼミも芸術学ではなくて、和の伝統文化という、ほぼ未知なところに振り分けられてしまいました。確かに、日本の美意識なんて、和の伝統文化っぽいですが、別に、茶道とか能とかの勉強には、興味無いです。日本の美意識には、とても近道なのかもしれないですが、私が知りたかったのは、絵画などの美術品からアプローチする、日本の美意識です。日本独自の構図とか、余白とか、比率とか、そういうところから感じる美意識を、具体的に知って、日本的な中国茶席に活かしたいと思ったのに、、、
追い討ちをかけるように、初めてのゼミでは、初めましての先生に、ケッチョンケッチョンにやられて、卒研が、ただの憂鬱なものになりました。
幸い、留年したので、その担当の先生は変わりましたが、新たな先生も、副担当も初めましての先生で、何で違うコースのゼミなの?と聞かれる始末。こっちが聞きたいっての。wwお二方の専門は何とかという茶の湯と蹴鞠?とのことで、私の卒研とは、全く接点無し。多分、私の卒研の方向に明るい先生が居ないんだろうなぁと。これは、こんなこと言っては失礼なのですが、先生は、あまりアテに出来ない。自力でやるしか無いのだ。と、腹をくくりました。
色々調べるも、日本の美意識なんて、壮大すぎるのと、それを系統だって研究してるものが見つからないのと、文字をみると、秒で眠くなる、活字苦手体質とで、全然研究は進まず。でした。
日本的美意識の流れを、自分で考察創造しただけで、お終い。つまり、ほんのイチブのことだけを繋げただけの、かなーり薄い内容の卒論ですが、考察の中で、いろいろな物事に対する感じ方や考え方が、ひとつ多くなったのは、とても大きな収穫だと思います。
その、得た物事をみる視点を、これからの茶席づくりに活かせれば。と思います。

卒研が、日本の美意識のイチブしか知れない内容に終わってしまったので、そのまま大学院で研究を続けようかと思いましたが、院に行くの、高!!!そして、あの学校では、残念ながら、研究したい分野に明るい先生には出会えなかったので、進むとしたら、別の所に行った方が良いだろうと。しかし、そこまでして、院に行って、研究したとして、それ、どうするのかと。この先、研究者にでもなるのか?それだと、中国茶席をつくる糧にしたかったという、当初の目的から、だいぶ離れてゆく。そして、卒研で、師に出会うことなく、ひとりでやった経験からすると、院に行かなくても、知りたいことも考察も、同じように、自力でやれば良いんじゃ無いか?ということで、
日本の美意識研究とともに、中国茶席づくりも、自力を基本にやってゆくことにしました

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