作品に思いを馳せる

今週は、中野京子著『怖い絵』より、『我が子を喰らうサトゥルヌス』を紹介したいと思います。

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『我が子を喰らうサトゥルヌス』は、1820~24年(1819~23年という説もあり)スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤによって描かれた絵画です。

『我が子を喰らうサトゥルヌス』自体とても有名な絵画なのですが、一時期Twitterでこの作品をオマージュしたイラストが話題になったということもあり、より有名な絵画になったのではないでしょうか。絵画に精通していなくても、目にしたことのある人が多いのではないかと思います。

わたしはこの絵を見ると、もちろん恐怖を感じますが、それよりも悲しい気持ちになります。沈痛な気持ちという表現の方が当てはまるでしょうか。その理由は、我が子を喰らうという選択しかできないサトゥルヌスの宿命に胸を痛めるからです。

そもそも、何故サトゥルヌスは我が子を喰らわねばならなくなってしまったのでしょうか。

サトゥルヌスとは、農耕神、また、時を司る神としてギリシャ・ローマ神話に登場します。彼は神々の上に君臨するために、自分の父を殺しますが、父は「お前も我が子に殺される時が来るだろう」とサトゥルヌスに最期の言葉を遺します。サトゥルヌスはその言葉に怯え、我が子を喰い殺すことになります。そうして5人もの我が子を喰い殺したサトゥルヌスですが、結局父の予言の通り6番目の我が子に殺され、地位を奪われてしまいます。

このように、サトゥルヌスは自らの地位の為に父を殺害したことによって、我が子を喰らわざるを得なくなってしまったのです。

わたしはこの作品を見ると、こういったストーリーを思い返し、なんて悲しい絵であろうかと苦しくなります。自業自得とも感じ取れるかもしれませんが、わたしたちを見るサトゥルヌスの目からは哀しみや躊躇いの意が漂い、「どうして」そう悲鳴が聞こえてくるようです。きっと彼も喰い殺したくてそうしているわけではないでしょう。自分の過去の行いを悔い、憎み、憂いながら、我が子を喰らっているのではないでしょうか。
我が子を掴む手からは鮮血が滲んでいます。暗い無彩色が多くを占めるこの絵から感じ取ることができる、唯一ともいえるこの赤の色彩は、そんな彼の気持ちの表れではないかと考えます。喰い殺したくない、でもそうしなければ自分が殺されてしまうかもしれない。そんな葛藤が、我が子を掴む力を強めるのでしょう。

ただ人が人を喰らっているような絵であれば、ここまで考えて胸を痛めることはないと思います。背景にあるストーリーに加え、スペイン最大の画家と称されたゴヤの技量、表現力によって、わたしはこの作品に胸を痛めるほど魅了されるのだと思います。

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