エモいという言葉が苦手だ
基本嫌なものがほとんど存在しなくて、好きなものばかりの、バイキングしようものなら何を乗せても私にとってのお子様プレートになりうるような人間なのだが、どうも苦手な言葉が一つだけある。
エモい
この言葉だ。この言葉が持つ私への攻撃効果はばつぐんなのだ。どんなに自分を貶されようと、つまんないと言われようと、何も思わない自分だが、自分にも向けられていない「エモい」が、炸裂するだけで私の体力は瀕死に追い込まれてしまう。
最初は冗談半分で仲の良い友人にだけ
「エモいって言うなよォ!」
と言っていた。普通に考えて、なにか物事を捉えた時の感情を音に乗せて、文章化して、あなたの感想を聞きたいだけなのに。
エモいってなんだよ!
きっとエモーショナルの形容詞化なんだろうなと勝手に思っているのだが、エモーショナルとはそもそも
と書かれている。
確かに感性は人の数だけあるし、人によってその様々な色のある感性の先にある表現を私は全て唯一無二の素敵なものだなぁと思っている。ところがどっこい、どんな表現も愛おしいなぁと感じることが出来るというのにこの「エモい。」だけはどうも心がズキズキしてしまうのだ。
"感情状態を包括する"と書かれているのにこれでは、
「あなたの感想は何ですか?」
「う~ん、"感情"、ですかね。」
と言われているようなものだ。
綺麗な夜景を大切な人と見に行ったり、
行きつけのお気に入りの喫茶店に連れて行ったり、まだ誰にも教えたことの無い夕焼けが見える場所をこっそり教えたり。
こんな時に隣の人から来た一言目が「何かエモいね。」だった時にはもう私の心は八つ裂きは愚か、フードプロセッサーで粉微塵にされたに等しいに違いない。有難いことにそんな状況の時にこの悪魔の言葉を言う友人は私の周りにはいないのだが。
しかし、冗談半分で苦手だと思っていた疑念が確信に変わった事件が起きた。
これはとある夏の日の夜に、男子3人女子2人で花火大会に行った時の話である。女子のうち1名だけ私と初対面だが、明るく元気な話しやすい女の子であった。花火大会というものは好きな人と行くから楽しい、好きな人と行きたいとか言いながらも、なんだかんだ花火を見て夏を満喫したかった私は、この会に参加させてもらった。
土手にレジャーシートを敷いて、コンビニでお酒を買い、花火を待ちながら、恋バナやら大学の話やら雑談を楽しんでいた。かなり近くで花火が見える良い場所を確保できたがために、私のワクワクは右肩上がりしていた。
「ドッパァァァァァァァァン!!!!」
花火が打ち上がり始めた。
「お~!めちゃ綺麗じゃん!」
「夏って感じだね~」
「わ~キレ~」
「今年初の花火かも~」
うんうん、やはり花火を見に来てよかった。土手で地べたに座りながらみれる花火は、川が近くにある人の特権で、残りあと僅かになったチューハイ缶を嗜みながらどのタイミングで買い出しに行こうかと悩んでいる最中であった。
「え〜なんかエモいね。」
その言葉は確かに聞こえた。初対面だった女の子だ。私がこの言葉が苦手だと知っている友人の男子2人は笑いを堪えつつこちらを見ている。僕は引き攣りかけている顔を必死に押さえ込みながら
「ね〜綺麗だよね~。」
で難なくその場をやり過ごした。
私だって大した感想は言っていないし、文豪のような感想を求めている訳でもない。ただ、その時、私は「エモい。」という言葉が本気で苦手なのだと感じたのだ。
「めんどくせぇな〜なんだコイツ。」と自分でもつくづく思う。だから、仲の良い友人しか私が「エモい。」を苦手としていることを知らない。何とな~くわかる「あ、この人ならわかってくれそうだな~。」という人にしか私は直接伝えないが、一度文章化してみようと思ったのだ。決してそれを理由に嫌いになったり、距離を置いたりする訳では無い。「エモいね。」といった子は微塵も悪くない。悪い人は誰もいない。強いて言うなら私が悪い。
ただ、言われると、少しだけ、純粋な感想を求める自分の心がさもしいなぁと、ここまで虚しく感じさせてしまうものは無い。
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