明日、母になる私へ
どうも、ちゃーこです。
予定帝王切開手術日の深夜、眠れないので書き残しておきます。
36週の健診で逆子になってたあちゃこさん。
お腹の中でクルクルしてたけど、頭が上の方が落ち着くみたい。
今も下の方をポコポコ蹴ってる。
帝王切開で子を産み、私は母になる。
妊娠中、特に後期は、出産のイメージをよくしていたけれど、破水したり、陣痛がきたりして、あわてて病院へ駆け込んで、痛みのあまり立ち合いしている夫に当たり散らしながら、骨が折れそうになるくらい夫の手を握り締めて、「ヒッヒッフー」って出産するものだとばかり思ってた。
私は陣痛の痛みを知ることなく母になる。純粋に少し寂しい。
だんだんと大きくなるお腹に向かって、夫と一緒に、「待ってるよ〜」ってよく話しかけてたんだけど、迎えに行く事になっちゃった。
あちゃこさんは、まだママのお腹にいたいって思ってるかもしれない。エコーでも恥ずかしがり屋さんで、あまりお顔を見せてくれなかったのに、いきなりお腹をシャッて開けられて、こんにちはってしたら、ビックリしちゃうかな。大丈夫かな、心配だな。
大きくなったこのお腹ともさよなら。妊娠線たくさんできて、途中から諦めてたら、結構なヒビ割れになった。これも、あちゃこさんがお腹にいた証。
初めて胎動を感じた時、嬉しかったなあ、ポコポコして可愛かったなあ。もう胎動は感じられなくなると思うと、ちょっぴり切ない。
パンパンになったお腹をさすりながら、もうすぐ会えると思うと、嬉しさや緊張と興奮、たくさんの不安、その他もろもろ、いろいろな感情が渦巻いて眠れない。
夫に「私は、ちゃんとした母になれるだろうか。」と不安を口にすると、「もう、母じゃん。ちゃんとしてるかどうかはわからないけど。」と返ってきた。この子がお腹にきてくれた時から、私は、無条件で母なのだ。
私の中の「ちゃんとした母」は明るくて、優しくて、いつもニコニコしていて、ご飯もお菓子作りも上手で、家事は完璧で、たまに怒ると怖い、そんな人。
理想の母にはなれないかもしれないけど、少しずつ頑張るね。
ただ、正直なところ、手術を目前に控えても、自分が母親であるという感覚がまだフワフワしている。お腹をさすりながら、「お母さんだよ〜」と、あちゃこさんに話しかけていても、自分自身に言い聞かせてる感覚に陥る。
もっと潜在的な意識の中で「母になる」ことができるのだろうか。
産声を聞いたら、その姿を目にしたら、また、何か変わるだろうか。
明日、元気な我が子を抱けますように。
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