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不完全を受け入れ、発言せよ #マイクレド

マイクレド 002
"不完全を受け入れ、発言せよ"


これは過去の僕に対する戒めの意味合いもある。

僕は大学生の頃、グループディスカッションや意見を言う場というものが極端に苦手だった。発言をする。それはすなわち、完璧に自分の意見を反映した言葉を発する行為だと思っていた。発言の前に、自分の中で一度咀嚼し、語弊があるような言い回しがあった場合には言葉を置き換えた上で発言しなければならないと信じ込んでいたのだ。

そんなふうにじっくりと考え込んでしまうため、議論の場では自分の意見をする前に場の話題が変わってしまい、会話の縄跳びに入れなくなってしまう。LINEの返信をするにもいちいち文章を推敲するのでめんどくさくなってやめてしまう。そんな風にいつしか物言わぬ人になってしまっていたし、自分は喋ることが苦手だと思っていた。

そんな考え方が変わった思わぬきっかけがインターネットの仕組みを学習したときだ。

皆さんは TCP と UDP という言葉を聞いたことがあるだろうか。すごくざっ
くりと説明すると、インターネット上でデータを送信するときの方式だ。

https://subspace.com/resources/tune-tcp-udp-performance より引用

着目すべきはUDPだ。UDPは、これまたざっくり説明すると「多少データが届かなくてもいいからとにかく高速に情報を送る」通信方式だ。ライブストリーミングやオンラインゲームで使われれる方式だ(逆にTCPはデータが届いたかを逐一確認しながら通信する方法である。ファイルダウンロードなどではこちらが使われる)。

これは僕にとってかなり意外だった。インターネットのデータのやり取りはすごく厳密に行われるものだと思っていたが、UDPのように相手に完璧に伝わったかどうかよりも"発信する"ことを最優先にする仕組みがあったのだ。

ここまで考えた時に、私たちの日常会話もTCP的に話すべき場面とUDP的に話す場面があるな、と気づいただ。過去の私の喋ることへの完璧主義はTCP的な発想である。他方、議論の場のような発散的な会話をする場面ではUDP的に不完全であってもとにかく速度や反射神経を重視して会話すべき場面である。過去の私はUDP方式を使うべき場面でTCP的なコミュニケーションを取ろうとしてしまい、結果として噛み合わない場面が発生してしまったのだ。

「言葉にしなきゃわかんないよ!」と言う言葉はよく聞くセリフであるが、まさに不完全であろうが、とにかく言葉として発信してみない限りは自分の存在意義がなくなってしまうのが今の世の中だ。そもそもが言葉にしたとて、その言葉が100%完全に相手に伝わることなどあり得ないのだ。
不完全であることを受け入れ、そして不完全でもいいからとにかく投げてみる。これが世の中を、自分を変える第一歩なのだ。



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