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"自分なんて" ではなく、 "自分だから"。

散歩を通じた散文的な思考

私は散歩が好きだ。歩きながら考えを巡らせ、その思考を言葉にする。これが私の新しい習慣だ。自分の考えを整理し、言葉にすることの大切さを強く感じているのだ。

最近、よく考えるのは会社の方向性についてだ。システム開発を中心に事業を展開し、売上も順調に伸びている。一見すると順風満帆に見えるかもしれない。

でも、何かが足りない。そんな感覚が私の中にある。

もう一歩、何かが必要なのだ。それが何なのか、まだはっきりとは分からない。この漠然とした感覚を明確にするため、自分自身と向き合う時間を多く取るようになった。

コミュニケーションへのコンプレックス

自分と向き合う中で、私は一つの気づきを得た。

それは、私の思考や発信の多くが「コミュニケーション」という切り口に集中しているということだ。noteでの発信を振り返ってみてもかなりの数、コミュニケーション・言語化についての話題に割かれている。

なぜ「コミュニケーション」なのか。それは恐らく、私自身の過去のコンプレックスに根ざしているのかもしれない。

うまく話せない。

思考をまとめられない。

そんな自分に対する不満が、過去の文章や発言からも見て取れる。

人前に立つこと。これが私の大きな苦手分野だった。話すのが苦手だったからこそ、私は私の表現を音楽に求めた。

私が音楽を通じて芸術的感性を磨くことができたのは確かだ。

しかし、同時に常に心の片隅にあった羨ましさも否定できない。

人前で堂々と自己表現できる人たちへの羨望。その感情は、私の中でずっとくすぶり続けていたのだ。

自分なんてではなく、自分だから。


この思考を通じて、私は一つ自分の軸を見つけた。

それが、 "自分なんてではなく、自分だから。" というフレーズである。

実はこの言葉には裏の意味がある。それは「全ての人が自分の可能性を信じ、それを実現するための勇気を持てる世界」というビジョンだ。

新しい分野に挑戦をしようとすると、どうしても不安や躊躇いが生まれる。

「自分なんて」という否定的な思考が頭をもたげる。

しかし、それを「自分だから」という肯定的な思考に変えることで、新たな可能性が開けるのではないか。そう信じているのだ。

最近、人それぞれに長所短所があることを強く実感している。完璧な人間なんていない。それを理解した上で、自分の良さを見つけ、伸ばしていく。そんな大人になりたいし、そういう社会を作りたいのだ。

私がやりたいのは、人々が「自分なんて」ではなく「自分だから」と思える世界を作ること

これが私の原動力だ。

かつてのマイナス思考の自分から脱却し、世の中に彩りを与える存在になりたい。

そのために、私たちの会社では「遊び」を一つの軸にしていきたいと考えている。

遊びを通じて、人々は自然とコミュニケーションを取り、新しいアイデアを生み出し、そして何より、自分自身の可能性を信じることができる。

遊びは、私たちの中に眠る「できる」という感覚を呼び覚ますのだ。


自分の過去、現在の会社、そして未来への展望。これらがどうつながっていくのか、まだ完全には整理できていない。

でも、この散歩の習慣を続けることで、きっと答えが見つかるはずだ。

そしてその答えが見つかったとき、私たちの会社は新たな段階に進めるだろう。

「自分だから」という肯定的な思考を育む場所を創造し、人々に寄り添いながら、可能性に満ちた世界を作り上げる。

そんな未来に向かって、一歩一歩進んでいきたい。

自分なんてではなく、自分だから。

この言葉を、もう一度心に刻む。

そしてまた、気持ちを新たに明日への第一歩を踏み出すのだ。


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