見出し画像

幸福コスパ論

よく死んだら何も残らない
と言って自殺を止めるシーンが出てくるが、的を得ていると感じる。

だって本当に死んだら何もないからだ。
これを更に紐解くと、成功や失敗、学歴や資産の大小に関わらず死ぬときは全員が同じラインに揃うとも読める。

つまり、どんだけ頑張っても怠けても収束は同じなのだ。

頑張ることが無駄と言っているのではない。
自分の幸福を壊してまでの頑張りは辞めたほうがいいのではという一見解である。

学歴もお金も顔もその他才能も、所詮は幸せになるための手段に過ぎない。
目的は幸せにあるのに人はよくすり替えて考えてしまう。


賛否あるだろうが、人生はどれだけ幸せになれるかという個人ゲームだと私は考えている。

いくら頭が良くてもお金を持っていても、幸せでなければ何の為にそれを持っているのかと感じてしまう。

幸せなら何も持っていなくても別に問題ないだろう。

本当に極論だと思うが、収束位置が同じなら無理に頑張る必要なくない?ってことだ。

無理な勉強も他者への行き過ぎた献身も過労も私は絶対にしたくない。

学歴がなかろうが他人がちょっと嫌な思いをしようが、結局は自分が一番幸せだからだ。

他人が迷惑を被るときは心は多少痛むが自分の幸福には代えられない。
人間性を失いたくなければ後で謝罪なりお詫びなりすればいいだろう。

自分を押し殺してまで他者と共存する必要はない。自分を殺した付き合いは必ずガタが来るし何より幸せじゃない。

今の幸せや将来の幸せを狭める努力も個人的には非推奨だ。
その瞬間の幸せを犠牲にしてコンプレックスを残してまで頑張りたいなら好きにしたらいいが、幸せの最大量が一番大きい選択を私はしたい。

生きるのに必要な努力は存在する。夢のためにも努力は必要である。

ただそれは本当に幸福が最大になる選択だろうか?
それを壊して後悔するなら頑張ればいい。
決して努力が不必要だと言っているのではない。

これを読んだ皆さんに幸あらんことを。


めっっちゃ期間空いた。また書きたいことがあったら書きます読んでくれてありがとう。
ふるぐら🐧

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?