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コンサータとそれに救われている私とそれを叩きたい誰かと

※とある経済紙のweb記事の内容に色々と思うところがあり、Twitterに投稿したものを加筆修正しました。

おはようございまーす!
今朝もちゃんと処方通りに #コンサータ 服用。
デスクについてもしっかり思考できる状態。
その前に職場まで安全運転で通勤が出来てる。

これらは数年前は【願っても叶わない理想】だった…
社会に【普通に】参画することの難しさに絶望しかけていました。

そんな昔話をひとつ。

私が42歳の時、診断を経て医師といくつかの方法を試す中でたどり着いたコンサータで

『まるで嘘みたいに』

意識を保てる…衝撃的でした。

叶わないと思っていた【普通に起きてる】が今まさに出来ている。
生まれ変わったような…というと大袈裟に聞こえるでしょう。

でも、私にとってはひとつも大袈裟ではなかったんです。


【卒業~社会人、繰り返すのは…】

遡って、卒業して社会人になってからずっと続くお決まりの展開がありました。
どんなに生活を整えようと、健康管理を徹底しようと、抗えないレベルの眠気が何度も何度も襲ってくる。
勤務中の居眠り頻発で部署内での評価は下がるばかり。

他の社員たちに申し訳なくて仕事のことすら対等に話し合えなくなり単独で判断・処理していかざるを得ない。

それゆえ失敗は許されない。

自分で徹底してチェックしてミスを減らすよう作業を改善して効率化を進めて…
「こんな自分が人に頼るなど恐ろしい…」と。
そんな呪縛のようなものが気が付けば当たり前になっていました。
(今でも人に頼ることが本当に苦手です。)

そうして処理能力、対応力を必死に拡張して、Excelその他を駆使して作業効率化を進めて…
部署内で他の人も活用できるフォーマットをいくつも作り、大半の仕事を単独で遂行できるようにしたところで、所詮は眠りのナントカ…いえ、ただの居眠り常習犯です。

『そんだけやるならちゃんと起きてさっさと進めて次をやれ』

誰だってそう思うし、思われて当たり前。

特定の業務に特化できる程度に自らをカスタマイズした成れの果てに作る【退職届】。

もう同じ空間で他の人が仕事に取り組んでいる姿を見ているのが耐えられない。
ここにいる自分がみんなの足を引っ張ってる事実に耐えられない。
終わらないタスクに増える残業時間を指摘されて謝罪以外に何も言えない自分が情けない。

どれだけ日常生活を整えようと意識を刈り取られるように座って寝てる…

刺激で意識を保とうと自傷スレスレのこともやって、それでも容赦なく思考は停止していく現状を誰もが【居眠り常習犯】として認識するだろうことへの惨めさを、渡り歩く職場で恒例行事が如く繰り返す。

履歴書の左半分(職歴欄)を埋めるってそういうことです。

そこまでやっても何も変えられなかった。
それが私の今までです。【負い目の集大成】と呼ぶものがこの履歴書です。


【診断を経て薬と出会い、自分を受け入れられるようになった】

そんな42歳が診断を経て適切な薬の処方で【始業から終業まで仕事に没頭できた】ときの衝撃を言葉で伝えようとしたら…

そりゃ【生まれ変わった】以外に何がありますか?という話です。

遅咲きではありますが、これで人と向き合って生きていける…そう確信できたのだから。
何よりも「自分自身の在り方と向き合って生きていける」と確信できたんです。

こういった薬について否定派の方が譲れない想いがあると同時に、それに救われて今も生きているひとりの人間として譲れない想いがあります。
それを依存だとか医療ビジネスの被害者だとか分別されるのは、ひとりの尊厳ある人間として容認し難い侮辱です。

そも、【貴方のその思想で私は救えない】

薬理的な作用で依存しているという側面が仮にあったとしても、大前提としてこの社会は【薬で補正してない私】を働き手として受け入れはしない…
その事実がある限り、毎朝コンサータを飲まないという選択はあり得ない。
この世界…社会に【ありのままの私】が参画できる余地がどこにあったのかと。

依存する・しないの選択の権利すら無いのが実際です。


【あの記事に感じた違和感】

診断その他を通して投薬によるアプローチを判断する医師やその決断をする当事者ならびに家族が【その選択に責任を持つ】ことは大前提ですし、安易に薬を使うことはリスクを伴う…なんていうのは発達障害に限らずあらゆるシーンに通ずる当たり前のはず。

某記事に感じる違和感の根底はここにあります。

きっかけがどうあれ服薬に関する責任を一切負わない立場の学校側がとやかく言ってくるのは論外です。
せっかく思春期に自身の特性について知る機会を得ることが出来たのに、結局学校は『普通に振る舞えない児童に居場所は無い』というスタンスを貫き、親子で薬に依存せざるを得ない状況へ追い込んだ。

ならばこの事例で議論すべき主題は薬の危険性とか依存とかじゃないはず。
コミュニティが発達障害児童を受け入れていくにあたりどんな課題があるか、そっちだと思います。

少なくとも薬品名を明記して【書き手が目指すゴールに繋がる様に】偏った情報を流すような詐欺師まがいのアプローチは違うはず。

…と、かれこれ2年ほどコンサータを服用して生きている人間として非常に思うところがあり珍しく長文ツイートしてしまいました。乱文乱筆失礼しました…!


【おまけ】

ちなみに私の過眠症状が顕著になったのは高校生くらいからです。
よく今まで運転中の眠気で事故起こさなかったもんです…
また、2年ほど服用してるわけですが薬理的な依存性は感じたことがありません。飲まなかった日は【ちゃんと】元の過眠頻発状態に戻れます。
この状態こそが本来の私。
(服薬のリズムを崩すことは推奨できません、念のため)

ご参考までに…


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