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自分と向き合って過去の捉え直しをしたことで人生変わったよという話。【更新】

私は今どう生きたいか?でキャリアを決めるというキャリアのパーソナルトレーニングプログラムのカウンセラーとして働いている。

日々いろんな相談事と向き合っていると、ちょっとした過去の挫折体験による傷が癒えておらず、それが大人になって社会に出たときに自分の人格形成やキャリア選択に大きく影響していたということに気づく瞬間を多く見る。

そしてそれを見るたびに私は当時の24歳の頃の自分を思い出し、自分にも心当たりがあるなあとか痛いほど共感できるなあとかそういった気持ちになる。

私の実体験を話すと、自分の場合、人生の根っこで引っ掛かりとなっていた体験としては「高校受験の失敗」で、母の期待に応え切れなかった罪悪感が自分らしく生きることの呪縛になっていたということを後で知ることになる。

人によっては「受験の失敗だけで?」と捉える人もいると思うのだが、一応前提として

・地元は割と田舎で(治安は良くない笑)で安定してそれなりに食べていくためには良い学校に進学して大きな会社で働く(もしくは公務員)が1番という価値観が強かった
・母が有名な教育ママでその期待に応えたいという気持ちが強くあった
・地元特有なのか良くも悪くも近所の噂話がすぐに広まりやすい環境のため、失敗や目立つことに対してどう思われるのか敏感になりやすかった(そのため空気を読んで適度に社交性を身につける必要もあった)

というのがある。だから地元の狭いコミュニティのなかで人生の節目で大きく失敗してしまったことは、自分にとってとても情けなく恥ずかしい経験として記憶に残っている。

また、昔は母の期待に応えたくて「本当はバレエ習いたいなあ」とか「もっと友達と遊びたいなあ」という気持ちを抑え、勉強することがきっと自分の未来につながると信じて毎日頑張っていた。

ただ学校では成績上位でも、塾の世界に行けばもっと天才みたいな人もいて「自分よりも遥かに上には上がいる」ことも知っていたし、期待に応えるためにやっていただけで、当時は勉強もそれほど好きではなく、勉強以外の世界のほうがもっとやりたいことはあるなあということもうっすら感じてはいた。

それでも成績が良ければ褒められるし、先生や周りの友達から「すごい」とか「さすがやなあ」と言われ始めると、なんとかしてこの立ち位置を守らなくてはと毎日必死だったように思う。

そして小中学校くらいまでは順風満帆な学校生活だったけれど、受験シーズンが近づくほど、やりたくもないと感じている勉強をさらにプレッシャーがかかる状況でやり続けることがすごく辛くなった。

おそらく最後の方には、力尽きてしまって小学校からの9年間自分のなかでいろんなものを犠牲にしながらエネルギーをかけてきたはずの受験戦争に結局自分は敗れてしまったことが、自分にとっての挫折経験となった。

母が言葉にならないほどガッカリしているのを見て「とんでもないことをしてしまった」と受験に落ちた悔しさよりも罪悪感のほうが強く残っている。

そして母も私も安定して食べていくための第一段階として「とにかく偏差値の高い学校に進学する」手段しか知らず、突然自分の人生に降りかかったこの出来事への対処法もわからず、「受験は失敗した」という結果だけが自分の記憶の中に刻まれてしまった。

幸い情がある母だったので「(受験の失敗は)全部私が悪かった、これからは無理に勉強しなくていい」と言われて解放されたけれど、

勉強の呪縛が解放されているはずにもかかわらず、

・失敗が怖くて何かに取り憑かれたかのように頑張りすぎる
・自分の努力は報われないんじゃないかという不安が常にどこかにある

長年、そんな状態だった。成功してもホッとするだけ、うまくいかない時は自分がダメだからだと自分を責め、自己評価も不安定だった。

そしてなによりいつだって「上には上がいるぞ」と見えない強敵と戦い、また失敗=悪だという呪縛も解けず、だからこそ順風満帆そうに生きている子たちを見ると羨ましいなとさえ思っていた。(今思えばその子たちも何か抱えていたかもしれない。)

そういったなかで本当の自分がどういう人間かも理解せず、就活では当時人気だったメーカー・金融業界を片っ端から受けていく活動を行い、無難な地元の銀行へ就職した。その時は本当の自分を曝け出すというよりも、完全に「いい子」で塗り固められた気持ち悪さが残る自分だったと思う。

就職してからもなんとなく「このままでいいのか」という気持ちと、この手応えのない人生、この何か歯車が噛み合わない感じに嫌気がさして、何かを変えねばと思って転職活動に踏み切ったのが24歳の時。

・なんとなく自分に自信が持てない(自分の良さがわからない)
・周りからどう見られるか気になる(すごいと言われそうな選択肢を優先)
・他人軸や世間軸を凌駕するほど、強く自分のやりたいこともない

そういう状態だったので、転職活動は苦労した。特にリーマンショック下の第二新卒転職だったので、面接で呼ばれて行ったのに「なんで来たの?」と言われ、本当に自分には価値がないんだと落ち込んだ経験もある。

そんななかで、唯一自分のことを「選考対象」としてではなく「1人の人間」として向き合ってくれた会社が、2社目の転職先で選んだリクルートだった。

20数年手応えを持ちきれなかった人生と転職活動で自分の価値も信じられず心がボロボロだった私にとっては、この出逢いにとても救われたし、これが人生の転機にもなった。

自分の過去の捉え直しをして自分には価値があったんだと気づく機会がこんなにも人にパワーを与えるんだと痛感した時間となり、それが今の仕事をするに至っている。

その面接官(のちの恩師であり上司)に、

「僕は固定観念で人を判断したくないので、あなたの履歴書も職務経歴書もあえて見てないです。お互い腹を割って話をしましょう」

と言う一言で、この人だったら「なんでも話してみよう」という気持ちになり、人生で初めて「ありのままの自分」をさらけ出せたことがとても大きい。

そしてこの一言によって、私はこれまでいかに自分自身を、学校の中でどういう立ち位置にいるのか、社会や世間から見てどれくらいのレベルにいそうか、あの人と比べて自分はどうだとか全て相対評価の中で自分自身を捉えてきたのか痛感することになった。

だからずっと「上には上がいる」という呪縛が解けなかったし、何をやっても自信につながらなかったんだということを理解した。

「あなたを経歴だけで判断しない」と言われた瞬間、自分を人間として向き合えてもらえている感覚になり、この人であれば等身大の自分で挑戦してみようという気持ちになれたことを今でも覚えている。

そうすると不思議と「頑張ってアピールしなければ」というような焦りや不安も消えた。

これまでどういった人生を生きてきたのか、出来事の結果だけではなくどういうスタンスで取り組んできたのか、問われることで自分がやってきたことを自覚化できるようになり「案外自分も頑張ってきたんだな」と肯定的に捉えられるようにもなった。

さらに、

高校受験の挫折の話、そこから勉強する意義を見出せなくて、そこから自分でもビックリくらい勉強をサボり倒したこと、大学受験を迎えて優秀な周りの子たちを見て焦って受験勉強を頑張り直したことなど。

今思えば、合格する要素がないじゃないか(笑)と思うような話も丁寧に扱ってくれ「(おそらく褒め言葉)激しい人生やな‥」と言われたときには、少し自分の人生も報われた気持ちになった。

さらに「挫折した時、どう思ったか?」「そこからどう立ち直ったか」とか

「人生の中で本当はやりたいことがあったのに、諦めたことはいくつあるか」など。

心の奥底に触れるような問いをかけられ、自分でも向き合ってこなかったドロっとした感情や自分ってこんなこと思ってたんだと気づくきっかけにもなり、泣きそうになったのを今でも覚えている。

と同時に「自分はまだまだこんなものじゃない」という心の中に熱いものがこみ上げてきた感覚もあった。

最後にこの面接の中で伝えられた「もっと自分の心の本音と向き合おう」という言葉が今でも自分の中で大事にしている信念にもなっている。

これまで自分は自分でも気づかないうちに、色んな社会や自分の中での「こうあるべき」というノイズに支配されていてその呪縛が解けず、それに嫌気が差していたんだなと。

なんとなくこれまで自分に自信が持てなかったのも「自分がこうしたい」ということよりも「こちらの道に行っておけば安全そうだ」とか「みんなが同じようにやってるから」とか「母が期待してくれてるから」とか、結局自分の大事な自分の人生の意思決定をいつも人や世間の価値観に委ねてきたからにすぎなかったのだ。だから成功しても自信が積み上がらないし、失敗しても言い訳ができてしまう。

もうそういう自分から卒業しようと思えた瞬間、ようやく人生の再スタートラインに立てた気持ちになれた。

長くなったけれど、こういった経緯が自分と向き合って過去の捉え直しをして人生が変わったよという話。

ー自分の人生に起こった偶然を必然にしたいー

自分はたまたま泥臭く転職活動を行うことで、偶然自分と向き合ってくれる人に出会い、今のキャリアがあると思っている。(リーマンショック期×キャリア迷子だったのでおそらく数百社は応募している)

ただ自分みたいに泥臭くしんどい思いをしなくとも世の中に自分と向き合う大人や自分と向き合う機会や仕組みがあれば、自分みたいに悩み苦しむ人は少なくできるのではないかということを24歳の頃からずっと考えていた。(キャリア相談をしていると私のように悩んでいる人は実際多いと感じている。)

そして人生は長いから、その呪縛から解放されて前向きにご機嫌に生きていくタイミングは早ければ早いほどいいとも思っている。

私の場合、24歳の時に向き合えてて良かったと思う一方、

高校受験で挫折したあの瞬間や

そもそも小学校の頃勉強することがちょっと窮屈だと感じていたその瞬間に

もっと自分や自分の人生と向き合える機会があったら私の人生はどうなっていただろうと考えることもある。

また、社会人になったばかりの頃は、学校では「いい子」と評されるような選択を取ってきたはずなのに、なぜ社会に出てからこんなに悩み苦しむことになるのか‥とぶつけ先が分からないような憤りを世の中に対して感じたこともある。

だから、当時自分がなんとなく抱いていた負の感情を解消できるような仕組みをもっと世の中に広げていきたいと思う。

ー自分らしく自分の意志で生きる人を増やしたいー

先述の通り今私は、どう生きたいか?でキャリアを決める ということをサービスミッションとして大切にしているPOSIWILL CAREERというキャリアトレーニングプログラムのカウンセラーとして仕事をしている。

なんだか自分に自信が持てない、自分の人生に手応えもない、自分の価値とは何なのだろうかと悩んでいた24歳のあの瞬間にこそ自分が欲しかったサービスだ。

かつて自分と向き合ってくれた恩師から「他者や社会に貢献できてこそ恩返し」と言われており、自分が受けた恩に感謝しながら、自分がご機嫌に頑張ることで、社会に還元していこうと思う今日この頃。

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私がキャリア相談をさせていただきますのでこちらよりご予約ください!


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