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映画『アメリカン・フィクション』を観た感想


はじめに

今回この映画を観ようと思ったのは、先日行われたアカデミー賞の授賞式での一部アクターの舞台上での態度が気になったからでした。
元々は、現在公開中の『DOGMAN ドッグマン』を観たいな、と思っていたので、それならまず、同じ監督、リュック・ベッソンの名作と誉れ高い『レオン』を観てから行くべきだろうと思って時間を取っていたんですが、どうもアカデミー賞授賞式でなにやら少し良くないことがあったらしい、そしてそれがいわゆる差別にまつわる話らしい、というので、そうか、それじゃあそんな話題を取り扱った映画にしようと思って、今回の『アメリカン・フィクション』というチョイスになりました。
ちなみにAmazon Primeで観たのですが、どうも吹き替え版しかない?ようで、吹き替え版で観ました。
ちなみにヘッダーの画像は、自宅で映画を観るときのセットです。SONYのLSPX-S2をPCに繋いで観ています。ちょっと古いオーディオですが、ライトの雰囲気と音の感触が良くてずっと使っています。

感想

全体を通して皮肉がたっぷりで、あまり差別的な文化に馴染みのない自分でもわかる内容で面白かったです。
もともと2時間程の映画ですが、とんとん拍子で話が進むのでストーリーのテンポが良くて、観ていたらあっという間に終わりました。

個人的に好きだったのは、主人公がヤケクソで酒を煽りながら、白人が好みそうな、黒人が苦しむ感じの、主人公に言わせれば内容の薄い小説を書いているシーン。小説の登場人物たちが主人公の目の前で物語を演じて行って、ちょっと違和感があったり執筆が止まったりするとキャラクターがそのまま「このシーンいる?」とか「で、俺はなんて言えば?」みたいな感じで聞いてくる。
ここの登場人物達が作者と会話しながら物語が描かれていく様が面白いのと、小説ってこういう書き方もあるんだな、なんて発見でした。
今勉強しているJavaというプログラミング言語に、オブジェクト指向という考え方があるのですが、それにちょっと似てるな、なんて思った次第です。
ざっくりいうと登場人物の属性(容姿や性格、考え方とか)と操作(あるシーンでの最終的な結末)を先に決めておいて、この場面でこの二人ならこういうやり取りが生まれるな、みたいな感じで物語を作っていくところが、若干似てるな、とそんな気がしました。
小説を書こうと思うと、どうしても自分の場合はまず私という主観があって、それが動くことで発生する事象を捉えていくような感じになってしまうんですね。エッセイとか、私小説のようなイメージ。プログラミングで例えると手続き型のイメージ。このnoteに投稿している内容も、やはりそんな感じで書いてしまっています。自分自身がそういうジャンルの本が好き、というのも大いにありますが、こういう人物を先に考えてから起承転結を決めて、三人称視点で物語を作っていくようなストーリーテリングの手法は、映像として見せられて改めて気付かされたなあ、なんて気持ちでした。
まぁ、別に小説を書いてやろう、なんて気持ちはないんですが、発想として面白いなあ、と。

そして作中で主人公の書いたヤケクソ作品も結局、社会を取り巻く白人たちの激推しでベストセラーになり、劇中で映画化します。
これだけ聞くと本は売れたし金にもなるし、ハッピーなサクセスストーリーなんですが、主人公としてはこれに納得がいってない。
問題は、黒人が苦しむようなあまり中身のないストーリーでも、白人はこれまで、あるいは現に起こっている人種差別に対する贖罪のような気持ちになれる、というだけで気に入って、そんな感想のまま売れてしまう。結果として、黒人に対する白人の意識の底にある差別主義はそのままで、ただ消費されてしまうということなんですね。
それに対して主人公は、そういう差別的な意識そのものに目を向けて、直していきたいという風に考えています。そう考えると、書かれた物語の内容を作中では全て知ることはできませんが、確かに薄い。
かといって黒人全員がそういう問題意識をもってこの作品を読んでいるかというとそうでもなくて、黒人からは黒人の悲劇的な話としてまた称賛される部分があるわけです。そういう食い違いで大事な人との交流を失ったりするのが、また本作の見どころではあるのですが。
そういった食い違いの連続が、最終的に物語になっていくといいう感じです。

差別的な意識の問題は難しいなあ、と思います。自分なんかは、日本生まれ日本育ち、生まれてこのかた海外へ出たことなんてありません。だから、白人、黒人の差別的な話題が、例えばアメリカで黒人が白人警官に射殺される等の話題が、対岸の火事だなあ、なんてぼんやり考えていました。
そこで今回のアカデミー賞の授賞式があって、あれ、これって結構酷いな、なんて気持ちになってる訳です。
特に男性の方、あれは酷かった。あんなに笑顔で渡しに行って、一瞥もされない。『アイアンマン』のトニー・スタークならあんな対応するだろうか。
『アメリカン・フィクション』でも主人公がタクシーを捕まえようと手を挙げたら、自分のところじゃなくて、さらに後ろで手を挙げていた白人のところにタクシーが停まる、なんてシーンがありました。
白人の根底にある、白人至上主義、とまではいかないものの、他の有色人種に対するある種の選別的、差別的な思考が底にあるのは明らかだなあ、と。まあ、だからと言って本作の主人公のように、何か抗議してやろう、とか、レイシストと戦うぞ、みたいな気持ちはないんですが、色々と残念な気持ちになったのは事実です。

色々と突っ込みましたが、本作はそうした差別的な内容をコミカルかつシニカルに提示しています。そのテーマの内容、重さにもかかわらず、深刻になり過ぎないコミカルさが、本作の良いところであり、そうした差別的な話題との関わり方としても、ちょうどいい塩梅の見せ方だなあ、なんて思いました。
特に白人、黒人の差別的な歴史や知識がなくても、しっかりと楽しめる映画で面白かったです。

終わりに

差別的な思想、そういった問題の根本解決は正直難しいと思います。
自分自身も、白人、黒人、また大陸系の人々とは、根本的に何か違うような気がしています。でもそれは当たり前で、そもそも論で言えば日本においても、完全に同じ人間っていうのは存在しないですよね。
じゃあそれが、一緒くたに同じ社会というくくりにされたとき、それなりの違和感が表出するのは、個人的には当然だと思います。生き方や考え方が違うのだから。
逆に言えば同じ施設で同じ経験を積んで育ったヒトは、身体的特徴差こそあれ、それぞれが殆ど同じような感じのヒトになるんじゃないかな、なんて思ったりもしてしまいます。ちょっと社会主義的で怖い考えですが。
まあそんなことはあり得ない訳で、実際としてはただ、その個々の違いを認識した上でお互いにヒトとして尊重しながら生きていけるのが、理想だなあ、なんて思います。

今まであまり考えたことのなかった話題だったので、自分なりに言語化したいな、なんて思って書いてみました。別に一石投じよう、そういう運動に参加しよう、とかそんな気持ちは全くないんですが、どこかの誰かが少しでも共感してくれたら嬉しいな、と思います。

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