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これからの幸せ

それではこの前の「地域循環型社会」の続き。どうしてその生き方が幸せになる生き方なのかというところを書いていく。

前回述べた通り、昔の日本は既にこの循環、地域のコミュニティで国内の経済が成り立っていた。縄文の時代からそうだった。
では、何故その循環がなくなってしまったのか。
それは日本を都合のいい国にするために誰かがわざとなくなる様にしたのである。
どうしてそんな事をするのか。単純、誰かが儲かるためである。

昔のお金の流れ

昔というとざっくりだが、戦前くらいをイメージしてもらうとわかりやすいと思う。戦前は国内の第一産業が盛んで、家は先祖代々引き継がれていた。そして地域のコミュニティが強かったため、皆お金を地域の八百屋、魚市場、床屋、に落としていた。

現代のお金の流れ

第一次産業は衰退し、多くは企業に勤めローンに追われる。
企業のために必死に働き、企業からもらった給料を企業に落とす。縦のお金の流れ。              

この様に、戦前と戦後にはお金の動きに大きな違いが見られる。
そしてこの変化は全て誰かによって故意に行われたものである。

それでは、その誰かはどの様に日本のお金の流れを変えていったのか。
昭和期(戦後)、平成期、令和期と順に見ていこう。
そしてその変化は、お金のみならず私たちの人生の定義を大きく変えてしまったのである。

  • 昭和期(戦後)

まず彼らが人々を動かすのに使ったのは、テレビである。(3S政策)
トレンディドラマを流行らせ、人々に都会への憧れを持たしたのである。
バシッとスーツを着て会社に勤めているのがかっこいい、いい車やいい家を持っているのがかっこいいという価値観を植え付けた。
するとどうなるか。
昭和後期、若者は東京に集中し、企業に勤め、都会で核家族として暮らす人が爆発的に増えたのである。
つまり、コミュニティ主義から個人主義に変わっていった。

  • 平成期

平成期でも彼らはテレビを利用し続けた。
そして更に個人主義を加速させるため、ニュースなどで通り魔、ストーカー、パワハラを報道し続け恐怖を煽ったのだ。
プラス、個人情報保護を過度に掲げる事で、人々は周りの人を信用できなくなり、マンションの隣の人でさえ顔を知らないという人が多くなった。

  • 令和期

平成期までだけでも十分に搾取する流れはできたのだが、令和で仕上げをしてきたのである。
某疫病を使い、更に人々の個人主義を強めた。
目の前の人、隣の人はもしかしたらバイ菌かもしれないという感情を人々に刷り込み、コミュニケーションを取りづらくする事で家族ですらバラバラになる時代になった。

この個人主義の結果、地域で助け合うことも少なくそれぞれがローンに追われ、毎日真面目に働き続け、何に使われているかも分からない莫大な税金を何にも疑問に思わずに払い続けさせられるのである。

つまり彼らの「国民が考えずお金に執着し、ある一定の権力に搾取され続ける理想の国」の完成である。


新時代

そしてその搾取される腐った世の中から脱出するための生き方が、お金の地域循環なのだ。
この現実に気づきデモを起こしたり、正面から戦う人もいる。
だが、それは全て彼らの土俵であり勝ち目はない。もっと言えば、彼らはデモさえも利用し、人々を分断することで戦争を起こし大儲けする。
しかし、お金の地域循環、コミュニティ、助け合い、これらで生活が成り立ってしまえば彼らは搾取も何もできなくなる。
彼らを完全に無視して生きるのだ。それが彼らが一番私たちにして欲しくないことである。
この生き方は一見お金の話だけに思えるが、実現すればあなたに悟りをもたらし、お金に執着することもなくなるだろう。
そして、人の温かさを感じ些細なことに幸せを感じる様になる。
「思考は現実化する」という様にポジティブな感情にすらなる。この世の中はもっとシンプルで、美しいのである。

某疫病によって複雑さが増し、悩まずにはいられない新時代だからこそ、こうした旧時代の考え方が必要なのかもしれない。


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