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認知症の「忘れてしまう記憶」と「忘れない記憶」

10秒後に忘れてしまうマダムK ~忘れてしまう記憶~

ある年のお正月の話。
認知症のマダムKのところに伺った。
年賀状が10枚くらい届いており、マダムKが年賀状を見ていた。
「あら、これは誰からかしら?あ、みっちゃんからだわ」と言って裏返しにして本文を読む。
申年だったので「まぁ、かわいらしいオサルさんがついてる!」と言って、年賀状をまたクルっと裏返しにした。


「あら、これは誰からかしら?あ、みっちゃんからだわ。へー、懐かしい!」と言って裏返しにする。
「まぁ、かわいらしいオサルさんがついてる!」・・・・・・(つづく)


マダムKは、これを5回繰り返した。
途中で話題を変えて遮ろうとしたけど、裏が見たかったのだろう。
中々、止まらなかった。


年賀状を裏返しにするたびに10秒前の記憶は完全に消し去り、新鮮な感動が生まれているようだった。
そして、懐かしいみっちゃんからの年賀状をその都度、とても嬉しそうに喜んだ。
私が帰った後も何度も同じことをされていたかもしれない。

認知症で短期記憶障害があるかたは、多い。
こんな光景をご家族がみたら悲しい気持ちになるのかもしれない。
お仕事もバリバリこなしていた日々を目にしていたご家族にとって、このギャップは、辛いだろう。
なんで?なんで?と思ってしまうだろう。
きっと私も家族の立場なら同じように思うことだろう。

と思う一方で、純粋に一瞬、きれいだと感動したり、懐かしい気持ちに新鮮に浸れていることも凄いと思った。
一日のうち何回、感動を味わえているのだろう。

奮発して旅行に連れて行ってもすぐに忘れてしまい無意味に感じることもあるかもしれない。
でも、2月16日〈実は、認知症の人には、ちゃんと伝わっていた!〉のブログを思い出して頂きたい。
表面的には忘れているように見えても魂の部分ではちゃんと知っていることを。

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昔の記憶 ~忘れない記憶~

そんな彼らも古い記憶は違うところにしまってあり、何回でも自由自在に引っ張り出せている。
ついさっきのことは、すぐに忘れてしまう。
それなのに幼少の頃や若い時の記憶は、臨場感たっぷりに語ってくれるのはご存知だろう。

認知症の方の様々なお話を伺ってきた。
そんな中、ちょっと気が付いたことがある。
3人の認知症の方の繰り返すお話の一例を挙げてみよう。

①「母は、病気がちでいつも寝ていたの。小さかった私が、走り回った時に母に静かにしなさい!って叱られてた。私のことが煩わしかったみたい」という話。

②「昔、外反母趾で、職人さんに特注の靴を作ってもらおうと思ったら幅の広い靴を作ってくれなかった。結局、サイズの大きい靴を作って、つま先に何か詰め物をするように言われた。そんなんだったら既製の靴とおなじじゃない!!」という話。

③「尋常小学科王の時に文科省のお偉いさんが来たの。先生が私を一人だけ呼んで、ご飯の炊き方がうまいから視察の時にご飯を炊くように言われたの。それで、食べてもらって美味しいご飯だって言われたのよ」という話。

その他にも戦時中の体験は、克明に覚えている方が多い。

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多くの繰り返す話には、いくつかの共通したものがあると思った。
★悲しかった話、辛かった話
★悔しかった話(怒り)
★嬉しかった話(自慢話)

繰り返し残る記憶は、出来事そのものというよりもその人の深い感情が刻まれた出来事が多いように感じた。
特別なカプセルの中にこれらの記憶が入っていて、いつでもどこでも自由に取り出せている感じがする。
私のカプセルには何が収められているのだろう。

昔、手相で「あら、この線、半年前に結構なストレスがあったんじゃないですか?」と言われて思い当たらなかった。
綺麗に解決してお気楽に過ごしていたので、すーっかり忘れていたのだった。
あんなにストレスフルになっていた時期が、一定期間あったにもかかわらず。
そう、ちゃんと記憶は、私の身体(手相)に刻まれていたのだった。

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認知症について特別な勉強をしているわけでもない。
だから勝手な私見だと思って聞いていただきたい。

潜在意識は、思考だけではインプットされないという話を聞いたことがある。
思考に「感情」というものが加わってはじめて潜在意識の中に入っていくと書かれていたと思う。

例えば、②の靴の例をとってみよう。
彼女(Aさん)は、靴職人さんに対して怒りを感じていた。
外反母趾の為にお金を出して特注の靴を頼んだのに自分の思ったものではなかったから。
同じ体験をしたBさんがいたとしよう。
「そうか、そういう履き方もあるかもしれないな。気が付かなかった!」とBさんは思った。
その場合、Bさんには怒りとして深くこの記憶が刻まれることはないだろう。
Bさんならこの記憶は、カプセルの中には入らなかったかもしれない。

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繰り返し同じ話をするとしても折角なら、いい感情の状態で残せたら楽なのかもしれない。
聴く側も話す側も。
嬉しかった話・自慢話については、自己肯定感という意味でも大切なことなのだと思う。
「よっぽど〇〇さんにとっては誇らしい事だったんだなぁ」と思えばいい。

ずっと同じ空間にいるご家族が、毎回同じ話を聞くのは、疲れるかもしれない。
そんな時は、うまく違う話題に変えていくのもいい。
「おんなじこと何回言ってんねん!」と怒るのではなく、さらりと、その話の続きを話してあげると、あ!この話題は、前にも話したんだ〜とご自分が気付く事はできる。


上級者になると、「はーい(手を挙げる)、その先を占いましょう(水晶を撫でるポーズ)、見えましたよ!その靴職人さんは、外反母趾の靴の作り方をよく知らなくてAさんには、サイズの大きい靴を作り、つま先に詰めモノをしておくようAさんに言いました。Aさんは、残念な気持ちになったんですね。しかし、その後、実は、その職人さんは、とても後悔したんです。Aさんの注文をきっかけに外反母趾専門の勉強をしにイタリアに修行に行ったのです。Aさんにとても感謝されているみたいです」
ユーモアと記憶の書き換えに挑戦!
これ、ダメかなぁ。

きっと、認知症の介護は、ユーモアや楽しい空想が助けてくれるような気がするから。


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私達は、「忘れてしまう記憶」と「忘れない記憶」の両方を見せてもらっている。

きっと彼らは、私たちに見せてくれているのだと思っている。
あなた達は、どう生きるの?と。




ありがとうございます😭あなたがサポートしてくれた喜びを私もまたどなたかにお裾分けをさせて頂きます💕