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路傍の草

夫婦となるために見極めが必要なことはなんだろうか?

独身のころには、この質問の答えがよくわかっていなかった。だが、結婚した今、私達夫婦にはコレがあるからいいよねと思えることがある。それは、「どうでもよいこと」に共通の価値を見出だせるということだ。

例えば、路傍の草。生活道路の脇に生えている雑草が、とっても気になってしかたなくなる。

それを話題にしてみると「そう!そう!そう!」と意気投合してしまう。

アイキャッチの画像は、そんな路傍の草の1つ。車から見ているだけでは画像におさめることに限界があったため、徒歩でその場所まで歩いていってみた。

この草の名前は不明。株の大きさは30センチ強ほどだっただろうか。葉の手触りはフェルトのような固めに編んだセーターのようなふわふわな感触。太陽の光を浴びて温もりさえ感じるほどだった。

この草は、どこから来たのか?

この後は、どんな風に成長していくのか?

私達夫婦はとても楽しみにしている。

雑草という宿命。

公道に根を下ろしたという運命。

それらを考えると、この草は、いつ抜かれてもおかしくはない。

そんな状況の路傍の草に、なんともいえない悲哀を感じつつ、日々気にかけている、「明日も陽の光を浴びてあの場所にいて欲しい」と。

日常生活に密接した本当に大事なことなら、共通の価値を見出だし、共通の認識にたどり着くまで話し合うなり、お互いの考えを説明しあうなどする必要があるだろう。お金のこととか家族の在り方とかそういったことは、トコトン話し合うし、価値観の一致がなければ離婚という選択すらありえる。

しかしながら、「どうでもよいこと」は、本当にどうでもよいから、お互いに理解する機会すらないだろう。路傍の草を気にかけてくれなかったからという理由は離婚の理由になどなり得ない。

だからこそ、「どうでもよいこと」に対しての感度が一緒であるということは、夫婦として案外大事な「要」なのだと思う。

「どうでもよいことなのにね」と笑いながら、これからも、この路傍の草のゆく末を見守っていきたい。