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思うほどダメな私ではないと気づかせてくれた場所にはもう二度と行けないから

人生には、予期せぬ出来事が起きる。思いがけず他人に影響を与えることが起きるのだ。

ワールドトレードセンタービルが、もう二度と行けない場所にならなければ、私はこの出会いが教えてくれたことを忘れてしまっていたかもしれない。

だが、毎年9月11日になれば否応なしにも思い出す。

そして私は思うのだ。

それほどダメな私ではないのかもしれないと。


「Hello there?」

同時多発テロ事件が起きる遙か昔のこと。

それは、私が20代だった頃のことだ。

電話の音が一人暮らしの部屋に響く。

電話番号通知のシステムが確立されていなかった当時は、電話に出る以外、相手を知る方法はなかった。

電話に出てみると、英語で話し始められたので、私は一瞬怯んだ。知っている声だった。


◇◇

nice to meet you!

その彼は、アメリカを一人旅をしたときに知り合った。

ニューヨークの市内観光に来ていた人で、二日間、一緒に観光をしたのだ。

私は一人旅ではあったが、ニューヨーク滞在中は旧知の友人と二人旅だった。

その分、幾らか警戒心も緩んでいたのだろう。フロリダから観光に来たという男性三人組と意気投合し、自由の女神やワールドトレードセンタービルを観光した。


know the differences 

ワールドトレードセンタービルの売店で、私が特大の星条旗を買い求めると、三人組のうちの一人が、驚いた顔で理由を尋ねてきた。

彼は三人組の中で一番若く、私とは弟と姉といった程度の年齢差だった。そのため、特に気楽に話せた。

むしろ私は驚かれることが不思議だったので、驚いた理由を尋ねると、特大の星条旗は「死」を連想させるからだという。

兵士や消防士が亡くなったとき、彼らの棺にかけられる星条旗を思い出すのだという。

このとき私は、特大サイズの星条旗に、そのようなイメージが重なると初めて認識した。


Show the differences 

彼らと出会った一日目、ブロードウェイの当日券を手に入れた私たちは、ミュージカル鑑賞をした。その流れで夕飯を食べつつ、ゆっくりと会話を楽しんだ。それは互いを知る機会となった。

当時の私は、人並みより数年遅れで大学に進学していた。病の治療に時間を費やした結果だった。

勉強が好きだから、遅れてでも学びたい意思があったこと、英語の力をつけるため、毎日独自の学習を続けていることを話した。

すると、先ほど、星条旗の話をした彼が、とても熱心に質問をしてきた。勉強を楽しいと思ったことがないから、そのことに興味があると言って疑問をぶつけてきたのだ。


expand my world

彼は、高校を退学して、そこから宙ぶらりんの時間を過ごしているのだという。

エリス島の歴史も、三音節以上の小難しい英単語も知らないのは、彼の経歴ゆえかも。とっさに私はそう思った。

「勉強は楽しい?」

「勉強すると何が変わるの?」

彼は真剣に質問をしてきた。その本気度が伝わってきたので、私は、できるだけ核心に近いことをシンプルに答えた。

「理由はきっと一つじゃない。だから勉強を続けられる」

「勉強をすると世界が広がる。世界が広がるといっても、一気に広がるわけではない。小さい世界が先ず少しだけ広がる。それが嬉しくて更にコツコツと学び続ける。するとまた、ほんの少しだけ世界が広がる。継続した学びの延長に今があり、私はニューヨークにいる」 

彼は私の言葉を全力で受け止めたように見えた。神妙な面持ちだったからだ。


◇◇


expand his world

アメリカの旅から帰国して数カ月後。

彼からの国際電話。

突然の電話に私は驚いたが、彼はどうしても伝えたいからと、自身の近況を話し始めた。

ニューヨークの旅から戻り、高校の卒業資格が取れる学校を探したのだという。

新しい学校で、自分のように数年遅れて高校を卒業するために学ぶ女性と出会い、彼女とステディな関係になったこと。

毎日が充実し、勉強の楽しさがわかるようになったこと。

矢継ぎ早に彼は今の自分がどれほど充実した時間を過ごしているかを伝えてきた。

国際電話の通話料金が心配になるくらい、彼は饒舌に自分がいかに幸せを感じているかを語ったのだ。


「Thanks to you!」

彼からの感謝と喜びの言葉は、電話を切った後も、私の中に響いていた。

私は自分のことを、重要な仕事をしていないし、ちっぽけでつまらない人間だと常に感じている。

その気持ちは時に強くなり自分を追い詰める。だが、そんな気持ちになったときには、彼のことを思い出すのだ。

ただ真面目に毎日を生きるだけでもいいじゃないかと。


September 11th reminds me 

私自身が思うほどダメな私ではないのだと気づかせてくれた「出会いの記憶」に紐付いた場所。

あのビルにはもう二度と行けないが、9月11日になると、その存在を痛いほど知らされる。

そしてそのたびに思う。

小さなことをコツコツと積み重ね生きることが、自分の世界を広げ、そして、まだ見ぬ誰かの世界を広げることがあるのだと。

大きなことは成せない生き方であっても意味はあるのだと。