見出し画像

趣味として庭仕事を楽しむ

空からの贈り物』で話題にしたあの草に花が咲きました。

その草の名前はマンネングサ(=万年草)。

予想通りの「きれいな黄色い花」が咲きました。

マンネングサには種類が複数あり、このマンネングサはどのマンネングサかは未確定です。

さらには、『「放任主義」で育つ』で話題にした草も、どうやらマンネングサの仲間のよう。花の形はそっくりですが、花のつき方、葉の形や色が違っています。ですから一緒ではないけど仲間ということなのでしょう。

マンネングサの仲間ということであれば放任主義で育ったことも、なるほど納得です。

植物の世話をしていると「適切な世話」「ほどよい介入」というのは植物によって違いがあるということに気づきます。そして、その程度というのにある程度のグループ感があると思うのです。

「こういう傾向の草花はこうしてあげるとよい」という経験則とでもいうのか。おそらく専門的に学んだ方や、植物の世話を生業としている方は、系統だった知識として身につけていると思います。

その点、私の場合は、今まで接したことのある植物の範囲の経験則でしかありません。おおよその「傾向」で経験値を積み上げているだけです。

経験を補うものとして、植物についても系統的に学んでみたいと思うことはあります。と同時に、日々の積み重ねから系統だった何かを感じ取るこの感覚も楽しいと感じます。

植物の知識は系統的にはなっておらず、ある意味、歯抜けの状態です。

ですが、習得済みの知識に「抜け落ち」があることを認識しているから、それはそれでよいと思うのです。

「知らないからといって存在しないことではない」という意識があれば、「未知」を楽しめると考えています。

「知らない≠存在しない」という意識があるから、判らないことがあれば調べることができます。

特段仕事としているわけではない「植物に関すること」については、実践をしながら経験を積み、適宜、本やネットから学びつつ知識をいれていく。

「趣味だから保てる距離感」とでもいうのでしょうか。

そういう「ふわっとした関わり方」が、とても心地よいのだと思います。

マンネングサという名前を知らなくても、育てることも可能でしょう。けれども、その名前を知ると、ほんのちょっと自信をもって世話をすることができます。

願って与えらえた『空からの贈り物』。

これからの成長が楽しみです。